9月中旬、軍艦島の立入禁止区域を、長崎市の許可のもと、坂本さんと歩くことができた。そのとき、かつて坂本さんが暮らしていた部屋に案内していただいた。
「ここは私たち家族が暮らしていた部屋です。25年ぶりにここに戻って来た時には、両親の名前が書かれた郵便ポストがありました。入り口の壁には、52歳の時にがんで亡くなった妹の落書きが残されています。中学校に入ってアルファベットを覚えたばかりだったので、うれしくて書いたのでしょう。妹が亡くなる前、この部屋で撮った写真を病院に持っていって見せました。『もう一度、あの部屋に戻りたいね』と言っていましたが、それがかなえられることはありませんでした」(同)
●劣化が進行する島
軍艦島最大の集合住宅である65号棟の9階部分にある部屋は、荒れ果てていた。窓枠はすべてなくなり、部屋の中にはがれきが散乱していた。残されていたのは、タンスや火鉢など、ごく一部のものだけだった。
坂本さんが、「軍艦島を世界遺産にする会」をつくったのは、03年3月のことだ。島を産業廃棄物の捨て場所にするという計画を聞いて、「故郷を守りたい」という思いで立ち上がった。
「軍艦島には、日本という国が捨てていった風景があります。石炭を掘るのをやめたら、このようになりました。このまま世界中で資源を掘り続けていったら、地球や人類はどうなるのでしょうか。軍艦島は、地球の未来の姿なのかもしれません。世界遺産に登録されたとしても、そこで私の活動は終わるわけではありません。全人類が地球の未来を考えるために、軍艦島のことを知ってもらう必要があるのです」(同)
軍艦島を含む「産業革命遺産~」が世界遺産に登録されるためには、いくつかの法律上の問題をクリアする必要がある。しかし、人々が力を合わせて進んでいけば、その夢は必ずかなうことであろう。
(文=酒井透)