異性にモテるのと同性にモテるのと、どっちがいいかと聞かれたら、少なくとも筆者は「異性にモテる方がいい」と答えるだろうし、同じ考えの人は少なくないはずだ。
しかし「異性にモテるのと、同性にモテるのは、どちらが得か?」と聞かれたらどうだろう?
異性にモテるのは確かに気分がいいが、付き合ったり結婚できるのは一人だけだ。それと比べると同性の友人は何人いてもいいし、多ければ多いほど困った時に頼りになるというもの。ならば、異性にモテようとオシャレに気をつかうよりも、同性から親しまれる存在になる方が、人生が豊かになるのではないか?
たとえば男性が同僚や友人、取引先の男性から一目置かれ、好かれるにはどんな所に気をつければいいのだろうか。『同性にモテる技術』(内藤誼人/箸、中央公論新社/刊)にはこんなことが書いてある。
■自己宣伝は逆効果
自分の評価を上げたい、優秀な人間だと思われたいという思いはどんな人であれ持っているはず。しかし、当たり前の話だが、自分の評価が上がる時というのは「自分以外の誰か」が自分をほめたり、手柄を称えてくれた時であって、自分で自分の手柄話や自慢話をしても逆効果だ。
特に男性は女性よりも自分をより大きく見せたいという願望が強いとされ、つい自慢話に走りがちだ。そんなことをするくらいなら、他の人に自分のいい評判を流してくれるようこっそりお願いする方がまだマシなのだ。
■「正義の味方」は同性にモテない?
誰かが法律に反することをしていたのであれば、黙認せずにしかるべき対処をしないといけないが、私たちの社会のルールは法律だけではない。職場のルールであったり、コミュニティのなかだけで通用する「暗黙の了解」があったりする。正義感の強い人ほどこれらのルールを守ろうとして、守らない人に注意をしたりするが、あまりやりすぎると周囲から反発されてしまうかもしれない。
ルールを杓子定規に捉えて、人を批判したり責める人間を好きになる人間はいない。それよりも、誰にも害を及ぼさない小さなルール違反なら「お目こぼし」できる人の方が、同性にはモテるのだ。
■「むやみに明るい人」はモテるか
明るい人柄は基本的には周囲に好まれる。しかし、それは「明るくしていい時」と「そうでない時」で声の使い分けができている場合だ。
仕事で大きなミスをして落ち込んでいる人に対して、「気にすんなよ! アハハ!」と明るく声をかけたら、相手は腹立たしいだけだろう。これでは「単に明るいだけの人」である。
心理学に「同質効果」というものがあり、落ち込んでいる人に対しては沈んだ声で、明るい人には明るい声で対応した方が相手からの印象はいい。たとえ同性相手であっても、明るいだけではダメなのだ。