これまでできていたことが制限されたり、社会全体に不安や恐怖が蔓延していたり、自分の生活がおびやかされたりした時、人が自信を持つのは難しい。これまで揺るぎなくあり、これからも揺らぐことはないと思っていた生活の足元が急激に不安定になっているのだから、無理もない。
そんな時は、視線を下げて、足元の方から社会を見上げてみてはどうだろう。
「もともと、人間の社会に確かなものなど何もなかったな」
「生活レベルが下がっても、生きてさえいればなんとかなる」
そんな風に思えたのなら、すこしは気持ちが楽になるかもしれない。
社会の底辺からの言葉が光る ブコウスキーの世界
チャールズ・ブコウスキー(1920年~1994年)という作家がいる。1970年代に活躍した、ヒッピー的な作風が特徴的な無頼作家であり、ひとことで言うのであれば「アメリカ社会を底辺の底辺から見続けた作家」である。それだけに、作中の言葉は(発する登場人物の口は悪いが)優しさにあふれている。
遺作となった『パルプ』(筑摩書房刊)は、特にブコウスキーが持っていたヒューマニズムを感じとれる言葉が多い。主人公の自称「ロサンゼルス1の探偵」、ニック・ビレーンからして、酒と競馬ばかりで、探偵業の方はからっきしなのだから、上から目線でものを言えるはずもない。
俺には休暇が必要だ。女が五人必要だ。耳クソをとる必要がある。車はオイルを換える必要がある。所得税の還付申告も出しそこなった。(中略)自動車保険が切れた。ヒゲを剃るたびに顔を切っちまう。もう六年、声を出して笑ってない。(『パルプ』P259より引用)
こんな具合のニックだが、仕事の方はというと、これも全然ダメなのである。ほぼ同時に持ち込まれた複数の事件を追っていたはずなのだが、本人は酒と競馬ばかり(夢の中でも酒を飲んでいる)で、捜査はまったく進行しない。あまりに無能な主人公を、「これじゃ何ページあっても足りない」とばかりに、物語の方から救いの手を差し伸べて、ニックにヒントを与えている趣すらある。
ただ、このポンコツ探偵、憎めないことにところどころでいいことを言う(心理描写のケースもある)のである。
誰もがいつかはやられちまう。勝者なんていない。勝者みたいに見える奴がいるだけだ。俺たちはみんな、なんにもならないものをあくせく追いかけまわしてる。来る日も来る日も。生き残る、それ以外に必要なことなんてありそうにない。でもそれじゃ足りない気がする。(P188)
どんな生き方をしても、死ぬのは一緒。死んだら一緒。ならばいい暮らしすることも、仕事に打ち込むことも、もしかしたら幸福を追い求めることすら意味がないのかも。
あの世に行くときはみんな一文なしだし、たいていは生きているときからそうだ。じわじわ弱っていくしかないゲーム。朝、靴をはけるだけでも勝利だ。(P122)
もっと自分を認めようというメッセージが伝わる言葉。朝目を覚まして、起き上がったり、靴をはいたりできる自分をほめよう。そのうちできなくなるのだから。
よし。これでまた独りきりでいられる。情けない俺だけど、ほかの連中といるよりはまだマシだ。みんなどこかで、みじめな芸やら宙返りやらに明け暮れてる。(P132)
家にこもりがちで、孤独を感じやすい昨今。自分を卑下したくなるが、他の人だってたいしたことをやっているわけではない。
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ピンチを宇宙人がやってきて救ってくれたり、その宇宙人に地球に植民するための仲間になれと言われたり。大昔に死んだ小説家が登場して、車にはねられて(また?)死んだりと、なにかとはちゃめちゃなストーリーが笑える『パルプ』だが、全編にちりばめられるブコウスキーの優しさにあふれる言葉に注目してみるのもおもしろい。何かと不安を感じやすい今の時期にぴったりの読書体験になるのでは。
(新刊JP編集部/山田洋介)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。