「授業中に、自らの経験や私生活を織り込んだ雑談をし、アンパンマンの主題歌を熱唱」
1980年代後半から、代々木ゼミナール(代ゼミ)で約25年間にわたりトップ英語講師として前線に立ち続けている西谷昇二氏。
基礎クラスから、「早慶英語」などの難関大学志望者向けクラスまでを担当し、授業の動画は1000以上の塾や学校にも配信、過去の総生徒数は延べ20万人にも及ぶという。
このたび、『dreamtime 負けたら終わりじゃない、やめたら終わりだ』(PHP研究所)を上梓した西谷氏に、
「早大と慶應大の求める人材の違い」
「受かる生徒の共通点、落ちる生徒の共通点」
「トップを走り続けるための秘訣」
などについて聞いた。
ーー私立大学のツートップ、早稲田大学と慶應義塾大学の違いを感じることはありますか?
西谷昇二氏(以下、西谷) あります。早稲田はよくいえば、学生の個性を磨くというか型破り的で、バンカラ風が多く、それが早稲田カラーになっている。一方慶應はエリート的で、「社会の組織の中で自分を生かしていこう」という意識が強いですね。
ーー早稲田と慶應の入試問題から、両校が学生に求めるものの違いというのは読み取れますか?
『dreamtime』(PHP研究所)より
また、早稲田と慶應の問題を比較すると、早稲田のほうが体系化され、論理的で、問題のバランスが取れています。慶應はそれを超えているというか、例えば文学部の英語の長文問題は、文学の根本を意識しているようなところがあります。一方、早稲田の文学部の問題はオーソドックスで、正論ですが、平凡といえば平凡。慶應のほうが文学的です。
例えば、「文学者にとって経験値はいらない」というようなところまで行ってしまう。フランスの象徴派、ヴェルレーヌやボードレールなどは「経験は何も教えなかった」と言っています。「持って生まれたものに勝るものはない」という発想ですね。経験を否定しているのではなく、生まれたばかりの赤ん坊の純粋さ=才能に勝るものはない。それをどう経験値でカバーしようとしても、根本的にダメで、文学とはその「根っこの部分」を表現するものではないか? と、そういう部分まで理解しないと答えられないような問いを、慶應の文学部は出題してきます。
しかし、早稲田の文学部はそこまで行かず、「夢があれば人間の現実世界を広げてくれる。その夢を見させてくれるのが文学的装置だ」というような、教科書的な論理ですね。
慶應の問題のほうが「飛んで」いて、本質的で解きにくい。早稲田は入学後に学んでいくための基礎を確認していますが、慶應は才能を見極めているようなところがあります。
ーービジネス社会では、会社トップに早慶出身者が多いように思えますが、西谷さんから見て、なぜだと思われますか?