村西とおる監督の成人男性向けビデオ(AV)作品を、若い世代の人たちは見ていないかもしれない。AVはとかく新しい作品が好まれるので、これは仕方がない。
では、村西監督作品は時代に流されて消えてしまったのかというと、それは違う。村西監督のマインドは、現在のAV業界に確実に息づいている。
村西監督の存在が誰に近いかを考えると、手塚治虫に思い至る。手塚が誕生する前から漫画は存在したが、手塚の出現以降、漫画は一変した。手塚がつくった新しい漫画の描き方は現代の漫画にも息づいている。
エロコンテンツの歴史においても、村西監督以前にも日活ロマンポルノなど動画作品はあった。しかし、それらはあくまで“エロいシーンがある映画”という作品だったが、村西監督の作品は違った。ドキュメンタリーで、エロだけを真摯に追い求めた作品だった。
村西監督が多用した新しいエロの表現は当時、作品を見たすべての男に衝撃を与え、現代のAVは村西監督がつくったフォーマットに基づいているといっても過言ではない。
おカネがないことで家族が壊れた少年時代の思い出話からはじまり、AVの撮影中にFBI(米連邦捜査局)に逮捕された話、裏本をつくった話、年商100億円まで上り詰めたが、事業でしくじり50億円の負債を抱える地獄に落ちた話。なかには、ダムの上で債権者に「ここから飛び降りてよ」と懇願された話などなど、一つひとつのエピソードが激しく、そして重い。
また、エピソード内で邂逅する人たちが、任天堂、TSUTAYA、ダイソー、つぼ八といった大企業の創業者など、大物すぎる。おカネにまつわる半生を全力でぶつけてくる、そんな本だ。今回、そんな村西監督に話を聞いた。
他人の成功譚など意味がない
まず驚いたのは、同書はすべて本人が書いているということだ。有名人の本は、ゴーストライターが書いていることが多い。
「全部自分で書いていますよ。他人に書いてもらってまで本を出す意義が見いだせません。いいものができるとも思えません」
監督はAV制作の際、女優のキャスティング、出演、撮影、編集、パッケージ制作と、すべてをひとりでつくっている。自分の作品を他人につくってもらおうと思わないのは、当然だろう。
「確かに今まではひとりで作品をつくってきましたが、今回初めて、編集者の存在意義を知りました。編集者が章立てをして、『これに沿って書いてください』と言われて書いたのは初めてだったんです。この本は、編集者がいたからできた作品だと思っています」
内容としては、とにかく「面白くなることを心がけた」という監督。ウダウダとした精神論的な話は退屈で、忙しい人たちの目には届かないだろうと思ったからだ。
「本には、“昭和最後のエロ事師”と呼ばれる私にしか経験できなかったことを書いています」
ただ成功譚をひけらかす内容ではなく、逮捕される、多額の借金を背負う、お金を借りるために醜女と肉体関係を持つ……などなど、失敗譚も多い。それらを書くことに抵抗はなかったのだろうか。
「相手のケツメド(肛門)を知りたかったら、まず自分のケツメドを見せろ、と私は常々思っています。私は、何百万人の皆さまに自分のケツメドを見せてきて、裏本時代にはそのイボ痔まで見せてきました。今さら隠すものは何もありません。それに、成功譚を聞いたところで皆さんの役に立ちますか? 孫(正義)さん、柳井(正)さんの成功談を聞いたって、一般の人にはどうしようもないんですよ。宝くじが当たった人の日記なんてつまらないじゃないですか」
一旦、考えるのをやめてみる
そもそも村西監督が同書で書きたかったのは、「お金の儲け方」や「成功の秘訣」などではない。
「本当の財産は、おカネではありません。何があってもめげない、絶望しない、がんばり続ける、という精神なんです」
村西監督には50億円の借金を背負った過去がある。常人なら、自殺してもおかしくない状況だったことは間違いない。しかし、そんな絶望的な状態でも、心をうまくスイッチングさせて監督は乗り越えてきた。
「まずは自分を追い込まないことです。人間の心はいつも揺れ動きます。今の限定された環境のなかで、自分の将来を全部決めるべきではありません。絶望的な状況に陥った時は、一旦、考えるのをやめてみればいい」
村西監督が大病を患い入院した際、医者に言われた言葉が胸に染みた。
「何千人の死を看取ってきたが、誰一人諦めていなかった。『もうだめだ』と口では言いつつ、『ひょっとしてよくなるかも』と信じながら生きている。余命宣告なんて余計なことです。今日より明日、病気を乗り越えて元気になれるかもしれない……という希望のうちに死んでいくのです。そう、先生はおっしゃいました」
人間は、そもそも絶望しようとしても、絶望できないもの。誰もがDNAの中に、祖先から受け継いだたくましさ、力強さを持っている。その強さを信じるべきだと、村西監督は語る。
「私たちは死から解き放たれるべきです。私たちは自分の死を見ることはできません。何千億円払っても、見られないのです。つまり、私たちの人生に死はないんですよ。だから、そんな経験することすらできないことで延々と悩んだり、消耗していく必要はありません」
「天職がころがっている」など幻想
しかし、現在の若者たちの悩みも深い。たとえばブラック企業で過重労働を強いられている人たちは、どのようにその状況を乗り越えたらよいのだろうか。
「ナンセンスの極みですね。なんの物的資源もない日本人が働かなくてどうするの? と思います。先日中国に行きましたが、皆さん1日に2個、3個と仕事を見つけてバリバリ働いています。私も若い頃は『なぜ1日が24時間しかないのだろう? 36時間あればいいのに』と毎日思っていました。
現状にああだこうだと文句を言っていても、仕方がありません。汗と涙と情熱でがんばって働いて生きていかなきゃならないんです。働き過ぎが悪いことだと思う人は、たぶん左翼の運動家に洗脳されているのでしょう」
働くこと自体は嫌ではないが、自分のやりたい仕事が見つからない、本当に自分が何をやりたいのかわからない、という若者も多い。
「自分にとっての天職がどこかにころがっている、なんていうのは幻想です。AV監督なんて仕事は、そもそもなかったのです。AV監督という仕事をつくった私でも、AV制作をただのおカネを稼ぐ手段だと思っていたら、天職にはならなかったでしょう。どうすれば喜んでもらえるかを一生懸命考えて作品をつくり、私のAVを手に取った人の喜ぶ顔を見て、結果、いつしか天職になっていくのです。『自分探しをしている』なんて言う人がいますけど『馬鹿か! 一生探してろ!』と思ってしまいます」
監督いわく、「人生は喜ばせごっこ」だという。人生において他人をいかに喜ばせるか考えて行動すること、それが一番大事なことだと教えてくれた。
つまり、壮絶な人生を生きてきた村西とおる監督が最後に行き着いた答えは、「無償の愛」だったのだ。
(文=村田らむ)
●プロフィール
村西とおる(むらにし・とおる)
1948年、福島県生まれ。高校卒業後に上京し、水商売、英会話教材や百科事典セールスなどを手がける。ゲームリース業で成功を収めたのち、裏本製作販売に転じ、北大神田書店グループ会長に就任。わいせつ図画販売容疑で逮捕され、保釈後の84年、AV監督となる。88年にダイヤモンド映像を設立し、多くの人気作を生み出したものの、衛星放送への投資失敗により、92年に50億円の負債を抱えて倒産。現在、映像関連事業のほか、その個性的なキャラクターで幅広く活躍している。