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「怒るはNG、でも叱るはOK」に潜む身勝手さとは?

新刊JP
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※画像はイメージ(新刊JPより)。

 行儀の悪い我が子を叱る。
 仕事で何度も同じミスをする部下を叱る。

 生活の中で、ほとんどの人が誰かを叱るタイミングがある。私たちはなぜ誰かを叱るのだろうか? 相手の行いを正したいから? もっと成長してほしいから? あるいは子育てなどでは、その場で「叱っている親」の姿を見せないと、親である自分が周囲に叱られる、という場面もある。

 ともかく言えるのは、私たちは「叱ること」に何らかのいい効果があると考えているということだ。それは「怒るのと叱るのは違う。叱るのはいいが、怒るのはダメ」という意見があちこちで見られることからも明らかである。

 しかし、叱ることには本当に教育的な意義があるのだろうか?

「叱ること」には課題を解決する効果はない

 実は、「叱る」にはそんなに大した効果はありません。少なくとも「叱る」による人の学びや成長を促進する効果は、世間一般に考えられているほどではないのです。(『〈叱る依存〉がとまらない』より)

 『〈叱る依存〉がとまらない』(村中直人著、紀伊国屋書店刊)は、私たちが「叱ること」に抱いている過大評価を指摘しつつ、叱ることにつきまとう自己満足性と依存性について警鐘を鳴らしている。

 叱ることが必要だと思う場面もあるかもしれない。それでもできるだけ叱らない方がいい。それは道徳的、倫理的な理由からではなく、単純に人を導いたり課題を解決する手段として「叱ること」は特に有効ではないからだ。

「叱るはOK、怒るはNG」が含む身勝手さ


 本書では、「叱る」をこう定義している。

 言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようという行為。

 少し露悪的にも見える定義だが、基本的に叱ることは「立場が上の人が下の人に行う行為」であり、そこには権力の行使という側面があるため、まちがってはいないはず。叱るとは「他者をコントロールしようとする行為」なのだ。

 だからこそ、本書は「怒ること」と「叱ること」を区別することには意味がないとしている。それは叱る側が勝手に区別しているだけ(そもそもどうやって区別するのかという問題もある)であり、叱られる側からすれば相手が感情的に怒ろうと、自分のことを思って叱ろうと、苦痛で不快なのは変わらない。

 これは、「体罰はダメだが厳しく叱るのは大切」という言説にも通じる。どちらも相手に苦痛を与えてコントロールしていることには変わりがないからだ。

 そして、叱られた方は苦痛から逃げようとして、叱った側が望んでいる行動をとる。それは叱った側から見れば状態が改善されたように見えるが、叱られた側は「本来どうすればよかったのか」ではなく「叱られた時にどうしたらいいのか」というその場しのぎ方向に発想しがちだ。これは少なくとも叱った側が期待している効果ではないはず。これが叱ることが人を導くのに効果的ではない理由だ。

 問題は、あまりにも多くの人が叱ることの効果を信じて疑わないこと。そして叱ることが必要なことだと考えていることだ。

 叱ることで何が達成できて何ができないのかに思いが至らないまま誰かを叱り続けることで、「叱らずにはいられない状態」になる人もいる。前述のように、叱ることには「権力の行使」という性格があるため、人によってはそこに快感や充実感が伴う。本書が「叱ることには依存性がある」としているのにはこんな理由がある。

 「あなたのためを思って叱っている」と言いつつ、無意識のうちに叱ることの快感に依存している上司や教師、親がいる。子育てで、マネジメントで、誰かを叱っている人にとって耳が痛い一冊だろう。(新刊JP編集部)

※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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