織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、名だたる戦国武将たちは実は植物を愛していた。派手好きで知られる信長が愛したのは意外なことに、トウモロコシの花だった。トウモロコシは、茎の先端にススキの穂のような、花びらがあるわけでもなく目立たない花をつける。なぜ、信長は、花びらもない花を好んだのか。
トウモロコシの茎の中段からめしべが伸びていて、この長く伸びためしべは赤っぽい色をして光沢がある。この糸のようなめしべは「絹糸(けんし)」と呼ばれ、シルクのような美しさがあったのだ。もともとトウモロコシは、この絹糸が美しかったので、日本に観賞用の作物として伝えられた。信長もトウモロコシを食べずに、鑑賞していたのかもしれない。
日本史の英雄「武将」と植物の意外な関係
このように武将や武士たちと植物との関係を紐解いていくのが『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか: 家康のあっぱれな植物知識』(稲垣栄洋著、扶桑社刊)だ。本書では、静岡大学大学院教授の稲垣栄洋氏が、植物学の視点から戦国の世から江戸時代における植物と武士の知られざる関係を紹介する。
「この紋所が目に入らぬか」でお馴染みの決め台詞で水戸黄門が懐から出す印籠に記された三つ葉の葵の御紋。これは将軍家である徳川家の家紋だ。この三つ葉葵のモチーフとなったのは、ウマノスズクサ科のフタバアオイという植物。山林の地面の際に生える小さな植物で、花も葉の根元の地際に1センチあまりの茶褐色の花を咲かせるという地味な植物だ。
なぜ徳川家はこの葵の御紋を用いるようになったのか。以下のような説がある。 1833年に記された『改正三河後風土記』によると「三つ葉葵」は、家祖が加茂の社職であったという本多家から徳川家へ献上されたとされている。徳川家康の祖父である松平清康がある城を攻めたとき、本多正忠が味方して勝利した。そして、戦勝を祝う場で正忠は、三つのミズアオイの葉に肴を盛って清康に出したという。清康は、この正忠の粋な演出を喜び、また本多家が見方したことで勝利を得たことを吉例として、本多家の家紋であった三つ葵を所望し旗紋としたという。
武将たちは植物を戦いに利用し、城造りに利用し、農業に利用し、領国経営にも利用した。武将たちにとって植物は武器であり、戦略物資でもあったのだ。植物という視点から戦国時代の武将たちを見ることで、より歴史を楽しく学べるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。