阪神タイガースのゴールデンルーキー・佐藤輝明のバットが好調だ。4月18日の試合終了時点で打率は2割1分4厘だが、5本塁打をマーク。この5本というのは、ドラフト制後の新人で4月末までの最多本塁打7(2003年の横浜ベイスターズ・村田修一)にあと2本と迫っている状況なのである。
2020年のドラフト会議で4球団競合の末に阪神入りした佐藤のバットに乗せられるように、チームも首位を走っている。そんな佐藤とは対照的に、ファンにとっては“黒歴史”になっている阪神の大卒ドラ1野手が3人いる。今回はその3人を紹介したい。
的場寛一(的場寛壱)
1人目は、1999年に九州共立大から逆指名で入団した的場寛一(2000~04年までの登録名は的場寛壱)である。大学時代は強打のショートとして活躍し、福岡六大学リーグで通算78試合に出場。266打数80安打で打率3割1厘、5本塁打、49打点をマークしている。堅実な守備とシュアな打撃が高く評価され、阪神に加えて中日ドラゴンズ、西武(現埼玉西武)ライオンズ、大阪近鉄バファローズの4球団が逆指名枠を争った逸材だった。
だが、プロ1年目の00年のシーズン途中から何度も左ヒザを故障し、2年続けてオフに手術をするハメになってしまった。1年目も2年目も出場試合はわずか11にとどまり、打率はそれぞれ2割8厘、1割という超低空飛行のありさまだった。
さらに、手術の影響もあって03年以降は外野手に転向。04年、05年ともに開幕前は当時の岡田彰布監督の秘蔵っ子として期待されたが、04年はわずか2試合に出場したのみ。5打数ノーヒット3三振という数字が残っている。
そして05年。この年はキャンプから絶好調で貴重な右の外野手として開幕1軍をほぼ手中に収めていた。ところが開幕前の、ある日のオープン戦の試合後に、自らの不注意で右肩を脱臼してしまう。正式な診断は“右肩関節唇損傷”。
以後は1軍に上がることなく、この年のオフに戦力外通告を受けることとなってしまった。プロ6年間、実働3シーズンで49打数7安打、本塁打は0だった。打点も01年にあげた1打点のみという成績は、入団前に将来を嘱望された期待の大型遊撃手としてはあまりにも寂しすぎる数字というよりほかない。阪神退団後は翌06年に社会人野球のトヨタ自動車に入社。硬式野球部でプレーを続けた。12年に現役を引退している。
伊藤隼太
2人目は伊藤隼太だ。08年春に東京六大学野球の雄、慶応義塾大に入学すると、主砲として活躍。4年間でリーグ戦通算84試合に出場し、打率3割1分1厘、10本塁打、51打点をマークした。3年生春と4年生春にはベストナインにも輝いている。
その一方で、3年生夏に開催された第5回世界大学野球選手権大会では全試合で大学日本代表の4番を務め、3本塁打を放った。まさに実績は申し分なく、俊足強肩で長打力のある左の外野手と期待されて、11年のドラフトで1位指名されたのである。
その期待通り、翌年のプロ1年目から8番・ライトで開幕スタメンを勝ち取った。阪神の新人外野手が1軍の開幕戦でスタメン起用されたのは、なんと1972年の望月充以来、実に40年ぶりという快挙でもあった。
ところが、肝心の試合では開幕カード2試合で5打数無安打3三振と結果を出せず、2軍落ち。結局、プロ1年目は通算22試合の出場で打率1割4分8厘、1本塁打、5打点と期待を裏切る形となった。そのため、オフには球団史上初、ドラ1で入団した新人野手が1年目から減俸提示され、契約更改する事態となったのである。
2年目以降も1軍と2軍を行ったり来たりする“万年1軍半状態”が続くことになる。その後、代打要員として活路を見いだし、2015年には63試合に出場して打率2割5分2厘、12打点、2本塁打ながら、代打でチームトップの打率3割1分6厘を残している。
さらに18年にはプロ入り後初めてシーズンを通じて1軍に帯同し、自己最多の96試合に出場。うち23試合でスタメン出場を果たした。そのなかにはクリーンナップを任された試合もたびたびあり、最終的には打率2割4分7厘、1本塁打、自己最多の13打点を記録している。
ところが19年、20年と2年続けて1軍の試合出場がなく、昨年オフに戦力外通告を受けることになる。9年間在籍した阪神では実働7年で通算365試合に出場し、打率2割4分、10本塁打、59打点というドラ1野手としてはかなり寂しい成績であったといえよう。
阪神を退団後、現在は独立リーグの四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団。球団初の選手兼任コーチとしてプレーを続けている。
高山俊
最後の3人目は、まだ現役で黒歴史に“入りつつある”選手である。それは2015年のドラ1・高山俊だ。12年春に明治大に入学すると、1年生春から3番・外野のレギュラーの座を確保するなど早くから頭角を現した。
4年間でリーグ通算102試合に出場し、打率3割2分4厘、8本塁打、45打点、18盗塁という成績を残し、ベストナインも6回受賞。なかでも際立つのは、4年間で積み上げたヒット数だろう。計131安打は東京六大学野球における通算最多安打記録なのである。 打者のタイプとしては、まさに広角に長打を放てる左の中距離ヒッター。加えて俊足強肩ということもあり、入団時から安打製造機として大きく期待されていた。
その期待通りオープン戦で結果を残すと、いきなり開幕戦で1番・レフトで起用される。阪神の新人選手が開幕戦に1番打者でスタメンデビューするのは、72年の中村勝広以来、44年ぶりの快挙となった。しかも、球団史上初となる新人選手による開幕戦でのプロ初打席初安打をマーク。これ以降も打ちまくり、プロ1年目で放ったヒットは球団新人記録を更新する136本、猛打賞も通算13回で、これは新人選手としては日本プロ野球史上2位の記録となったのである。
結局、プロ1年目は134試合に出場し、規定打席に到達。494打数136安打で打率2割7分5厘、8本塁打、65打点をマークし、セ・リーグの新人王に選ばれる大活躍を見せたのであった。
ところが良かったのは最初の1年のみ。翌年以降、徐々に成績を落としてしまう。2年目こそ103試合に出場して打率2割5分、6本塁打、24打点と踏みとどまったが、好守とも精彩を欠くブレーが目立ち、夏場にはプロ入り後初めて2軍降格を味わう。3年目に至っては極度の打撃不振に見舞われ、わずか45試合の出場にとどまり、打率1割7分2厘、1本塁打、14打点と、プロ入り後最低の数字となってしまった。
一転、4年目は1軍公式戦で2年ぶりに100試合以上の出場を達成。最終的には105試合に出場し、打率2割6分9厘、5本塁打、29打点という成績でシーズンを終えている。やや持ち直したかと思ったが、プロ5年目となった昨シーズンは再び打撃不振に陥り、そのまま復調することはなかった。結果、1軍出場はプロ入り後最少となる42試合、打率も1割5分2厘、0本塁打、3打点と最低成績を記録。屈辱のシーズンとなってしまった。
ここまでのプロ5年間の通算成績は、429試合に出場して打率2割5分3厘、20本塁打、135打点。1年目の成績を思うと信じられないくらいの低迷ぶりとなっている。しかも、今シーズンはプロ入り後初の開幕2軍スタートとなってしまった。現状の阪神1軍外野陣は佐藤輝明のほか近本光司、サンズが君臨。ここにベテランの糸井嘉男、さらに新外国人選手のメル・ロハス・ジュニアが合流。高山の居る場所はない状況だ。
先の2人、的場と伊藤はすでに球団を去っているが、高山はまだ現役バリバリで、このまま終わる選手ではない。その秘めた実力はプロ1年目で証明済み。ならば、トレードなどで環境を変えてみるのもひとつの手だろう。きっと復活の足掛かりになるはずである。