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町田徹「見たくない日本的現実」

司法失墜 原発再稼働で真っ二つの裁判所、稚拙で偏狭な判断 国は強引に再稼働突入

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関西電力高浜原子力発電所(「Wikipedia」より/藤谷良秀)
 カウントダウンが始まった2つの原子力発電所の運転再開をめぐって、司法の判断が真っ二つに割れた。今月14日に福井地裁が高浜原発の再稼働を禁じる仮処分を下したのに対し、同22日には鹿児島地裁が川内原発の再稼働を差し止める仮処分の申し立てを却下したのである。

 判断が割れた背景には、2年前に原子力規制委員会が定めた新規制基準の妥当性に対する評価の違いがある。しかし、新規制基準はいわば原発の建築基準だ。耐震性や津波への対応力強化を求めたものにすぎず、これで原発事故のリスクをゼロにできるわけではない。にもかかわらず、原発の運転再開の可否を新規制基準に対する評価ひとつで判断するのは、あまりに偏狭だ。こうした姿勢は、司法への国民の信頼を損なうとともに、憲法が定める三権分立の精神を貶めることになりかねない。

 鹿児島地裁の決定の翌々日のこと。原発をめぐる2つの仮処分の申し立てと裁判所の決定について、ある経済団体OBが非公式の取材に応じ、「残念でならない」と呟いた。このOBは、エネルギーや電気通信といった産業政策、地球温暖化対策に長年取り組んできた人物だ。何が残念なのか質すと、「せっかくの貴重な機会なのに、原告も、原告の代理人(弁護士)も申し立ての内容が稚拙すぎる。こんなことでは、行政や立法は現状に安住してしまい、原発をめぐる政策のレベルが向上しない」という言葉が戻ってきた。これには、経済ジャーナリストとして取材活動を30年以上続けてきた筆者も、頷かざるを得なかった。

 というのは、原発については推進、反対の両派の多くが、それぞれ偏狭な自説に凝り固まっている。最終的に目指す姿が似ていても、そこに至るアプローチが違うとなると、相手を敵と決めつけて聞く耳を持たないという態度をとる人が珍しくないのである。

 例えば、反原発派には、経済や暮らしが混乱する可能性や、その対策の必要性を決して考えようとせず、原発を直ちにゼロにせよと主張して一歩も譲らないタイプの人が多い。逆に推進派には、コストを押し上げるような安全対策は、低コストという原発の長所を損なう愚策だと決め付けて、運転を早期に再開すべきだという乱暴な向きが多い。原発への信頼性を高めるには安全対策が不可欠という意見にも、「対策に膨大な時間とコストを費やさせて、事実上原発の再稼働を不可能にしようとする原発反対派の深謀遠慮だ」と猛反発する人が少なくないのだ。

 原発問題に関しては、賛否両派がそろって視野が狭くなりがちで、体系的かつ漸進的に事態を改善していこうという発想を欠いているのである。

視野の狭い司法判断


 残念なことに、視野の狭さという特色は、ここで取り上げた2つの司法判断にも通じるものがある。