まず着目したいのは、福井地裁の決定だ。同地裁のことは本連載前回記事でも取り上げたので簡略に記すと、再稼働の是非を判断する上で勘案すべきことはたくさんあるのに、争点を新規制基準に絞り込んで、「求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容」と、事故をゼロに抑え込む基準が必要だと強調した。その上で、「(実際の新規制基準は)緩やかにすぎ、これに適合しても本件(高浜)原発の安全性は確保されていない」と断定。運転再開を禁じる仮処分を下した。
一方の鹿児島地裁は、新規制基準について「最新の科学的知見に照らし、不合理な点はない」と高く評価。2005年以降、想定されていた基準地震動(耐震設計の目安となる揺れ)を超える揺れが全国の4原発で5回観測された点についても、福井地裁が新規制基準を信頼できない根拠としたのに対して、鹿児島地裁は、「(新基準では)考慮されている」と判断した。そして、「九州電力は地質などの詳細な調査を実施し、自然現象の『不確かさ』も考慮して想定を定め、耐震設計をしている」ので、「地震による事故で放射性物質が外部に放出されることを相当程度防ぐことができる」と、住民たちの運転再開の差し止めを求める仮処分の申し立てを却下した。
読売新聞、日本経済新聞といった原発再稼働を後押しする論調を掲げている新聞は、そろって福井地裁の決定を「(新規制基準に関する)事実誤認」に基づいたものだと強く批判。その一方で、鹿児島地裁の決定については、1992年の最高裁の判例を「踏襲した」内容となっており、「妥当なもの(である)」と歓迎の意向を表明する記事が目立った。逆に、日頃から反原発色の強い朝日新聞、毎日新聞や多くの地方紙は、福井地裁の決定を派手な扱いで報じたものの、鹿児島地裁の決定はそれほど目立たない扱いにとどめていた印象が強い。
しかし、ジャーナリズムとしては、司法判断を評価するに当たって結論が自社の社論に合致しているかどうかでニュースバリューを判断するのではなく、決定の理由とその論理構成に十分目を配るべきだろう。
争点に踏み込まなかった両地裁
福井、鹿児島両地裁の2つの決定は、あまりにも原子力規制委員会の新規制基準と原発の安全性にこだわりすぎた感がある。福井地裁の決定は、論理構成がほぼそれ一色で、違和感を拭えない。それに比べれば、鹿児島地裁の決定は重大事故が起きた時の住民の避難計画を検証するなど、多少は丁寧な内容だ。とはいえ、避難者が集中した時の道路の渋滞やバス、運転手の確保などに実効性があるのかという原告(住民)の問題提起には、裁判所としての十分な検証を避けた。その代わりに、「放射線防護機材の備蓄や緊急時の放射線の測定、安定ヨウ素剤の投与」などのルールができていることを根拠に、「一応の合理性や実効性を備えている」としており、重要な争点をはぐらかした印象は免れない。