「一線を越える」という言葉はすでに死語かと思っていたら、ここにきてがぜん脚光を浴びています。不倫が報じられている今井絵理子議員にこの言葉を使って説明せよとアドバイスした人のセンスの古さは、ちょっといただけない。皮膚感覚としても少し奇妙に感じられるだけでなく、かえって世間に淫靡(いんび)な印象さえ与えかねない言葉を使うよう若い彼女にアドバイスしたのは、60歳前後の人かもしれません。
今井議員のように、人は恋愛や不倫のとき「一線を越える」という言葉を使うことがあります。かなり緊張感の高い言葉でもあります。
恋愛を例に考えてみましょう。好きな人ができて、初めてのデートに出かける。この状態はまだ「一線を越える」とは表現しません。では、どこで「一線を越える」のでしょうか。
「一線を越えた」と感じるタイミングは人それぞれのため、明確な定義はありませんが、たとえば手をつないだとき、相手の体温が伝わってきます。このときのドキドキ感が、一線を越えたと感じるものでしょうか。あるいはキスしたとき、唇を重ねるだけでなく身体がぐっと近くに感じられることで、一線を越えたと感じるかもしれません。
または部屋に招き入れたとき。これは町中やレストランで会っているときとは違います。閉鎖空間で2人きりとなるということもありますが、自室というプライベートな面を見せたときに「一線を越えた」と感じるかもしれません。さらに、セックスしたとき。それはもう明確に「一線を越えた」とされるものですね。
いずれにせよ、高まる緊張感のなか、境界線を越えることを意味します。境界を「皮膚」と言い換えてもいいかもしれません。私たちは洋服を着ていますから、普段他人の皮膚が触れることはありません。それを、あえて手を握ることで皮膚が触れ、洋服を脱いでセックスすることでより多くの部位の皮膚が触れ、「ああ、これで境界を越える前の関係性には戻れないな」と感じることが「一線を越える」という意味でもあります。
「point of no return(帰還不能点)」――。それは、離陸した飛行機がもはや出発点に戻るだけの燃料がなくなる地点であり、もう後に引くことができなくなるという意味でもあり、一線を越えた感じがしますね。