そんな若年層が投票日までに目を通しておくべきだと考えられるのが、『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(合同出版)である。著者は司法試験予備校伊藤塾の塾長であり、憲法研究をライフワークと位置づけている護憲派の伊藤真弁護士と、改憲論者で「コバセツ」の愛称で知られる小林節慶応義塾大学法学部教授。2人の対談形式になっており、実際に読む部分は137ページしかない薄い本で文字も大きい。内容も平易な上に衝撃的で、決して眠くなるような内容ではない。2~3時間で読めるので、特に20~50代の方にはぜひとも読んでほしい。なぜ20~50代なのか。それは安倍晋三首相という政治家の悲願実現の暁には、最も被害を被る層だからなのだが、詳細は後述する。
同書は昨年7月に刊行されたもので、自民党がまだ野党だった2012年4月に発表した、同党の、というよりは安倍首相が考えた憲法改正草案を批判した本である。ポイントは、改憲論者の小林氏ですら徹底的に批判しているという点だ。『NEWS 23』(TBS系)キャスターで毎日新聞政治部特別編集委員の岸井成格氏も、テレビ番組でこの改憲案を「あまりにも幼稚な内容で、いくら野党になったからといって、こんな無分別なものをつくるとは、とあきれ、政治部の記者は相手にしなかった。だがそれがいけなかった。即座に徹底的に批判すべきだった」と語っている。
筆者は経済専門の記者で、社会部系でも政治部系でもなく、人権に関する報道を熱心にやってきたわけでもない。従ってこの憲法改正案の内容をほとんど知らなかったのだが、同書を読んで仰天した。安倍首相は、改憲こそが最終目標であり、集団的自衛権容認は何がなんでも実現したいという悲願を持ち、それが国家にとって最善の道だと信じて疑わない政治家なのだということがわかる。
強い信念を持って正しいと信じて突き進む政治家ほど怖いものはない。2年間の政権運営で、自分の信念は国民受けが悪いこともすでに承知している。受けがいい経済政策を隠れ蓑にしながら票をかき集めないと、自分の信念は実現できない。自民党総裁選が来年9月では、それまで安倍人気は持たない。だから今なのだ。
権力者を縛る憲法があってこその立憲主義
同書で小林氏と伊藤氏の2人ともが一致して批判しているポイントは、憲法96条と99条に関する改正案。両条文に共通するのは、「安倍首相は憲法を憲法とは別のシロモノに変え、立憲主義を捨てたがっている」という点だ。「国民を縛るのは法律。その法律のつくり手である権力者を縛るためのものが憲法」であり、「法の上に憲法があるのが立憲主義」だと記憶している人は少なく、両氏はそれこそが問題であり、日本国民は「立憲主義とは何か」を理解していないと指摘する。
憲法は英語で「constitution」であり、権力をカサに着て国民の人権を不当に侵害するような法律を、権力者につくらせないためのものだ。そもそも権力者を縛ることを目的にしているのだから、主語は基本的に権力者でなければならない。よって、国民については権利を盛り込むことはあっても義務を盛り込む余地はない。ちなみに義務教育のくだりは「教育を受ける権利」を意味する。
現行憲法では、99条で「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負う」としているのに、改憲案ではわざわざ102条を新説し、国民に対し憲法を守れとしている。国民の義務を謳った新設条文はほかにもあり、「家族は互いに助け合わなければならない」として、本来憲法が踏み込むべきではない道徳に踏み込んでいたりする。
96条で憲法改正に必要な衆議院、参議院での賛成数を3分の2と定めているが、これも過半数に緩和するとしている。だが、これでは憲法が一般の法律程度の賛成多数で変えられるようになってしまい、それでは憲法は憲法でなくなる。一般の法律は定足数が総議員数の3分の1で、その過半数の賛成で成立する。これと同じレベルにするということは、権力者である安倍首相が自らを縛る規律を大幅に緩めようとしているわけで、これは間違いなく立憲主義の否定になる。
天皇の権限を大幅に増やす条文が新設されていることについても、小林氏は「政治利用が行われ得ない様にすべき」と批判的だ。公務員による拷問や残虐な刑罰を禁じた36条では、「絶対にこれを禁ずる」から「絶対に」だけが削除されている。明確に「国防軍」という条文も新設されている。
とにかく全体的に、戦前の家父長制度を基本とし、国家の利益が個人の利益に優先する明治憲法への回帰を志向しているとしか思えない細かい「改正」箇所が随所に登場するのである。
現実味帯びる徴兵制
当然、集団的自衛権を容認する前提で必要な改正も盛り込まれている。今回の選挙の争点である経済政策、原発再稼働容認の有無、集団的自衛権容認の有無は、3点がセットである。経済政策には賛成でも残り2つには反対という人が自民党に投票すれば、もれなく反対である残り2つにも賛成したことになってしまう。自民党内に反対派が事実上おらず、政権与党内に誰も安倍首相を牽制できる政治家がいないからだ。
集団的自衛権について、安倍首相は海外の紛争地域での邦人保護など、耳当たりの良い事例だけを引き合いに出して説明しているが、要するに国民が国家から「海外へ行って人殺しをしてこい」と命じられることなのだ。人間の約95%は人殺しをすると心を病むということが、科学的に立証されている。ボタン一つで人殺しができる現代でも、心を病む兵士は後を絶たない。それでは海外へ行って人殺しをしろと国から命令されるのは一体誰か。多くの人は自衛隊員と答えるはずだ。それでは「自衛隊員にあなたは志願しますか」「あなたの子供を自衛隊員にしますか」という質問をされたらどう答えるのだろうか。
自衛隊員には、任期がない隊員と、任期がある隊員がいる。防衛白書によれば、任期がない隊員は14年3月末時点で20万5333人、任期がある隊員は2万379人いる。「曹」「准尉」「将」といった幹部クラスの人数は18万4983人と、5年前に比べると1230人増えている。定員に対する充足率も96.8%と高水準だ。だが、最下層の「士」は4万729人と、5年前に比べて4783人、率にして1割減っている。この「士」は任期付きの隊員が半数を占め、その任期付きの隊員に限っていえば、2割も減っている。「士」全体としての定員に対する充足率も72.6%と低水準だ。
集団的自衛権の容認が実現すれば、おそらく自衛官への志願者は激減するだろう。ただでさえ18歳以下の人口は減少の一途を辿っている。必要な頭数が揃わなくなれば、にわかに徴兵制度が現実味を帯びてくる。実際に海外から派遣要請が来たときに、「頭数が揃わないので派遣できません」などと言えるわけがない。
まったく戦争を経験していない世代
なぜ20~50代に本書を読んでほしいのかといえば、徴兵の対象になるのは、まさにこの年齢層だからだ。今、小学校4年生の子供も10年たてば成人である。だがこの層には選挙権はない。30~40代は自分のことに加え、自分の子供の将来も考える必要がある。
太平洋戦争当時、応召の対象になった年齢は当初は20~40歳だったが、1943年に下は19歳に引き下げられ、上は45歳に引き上げられた。翌44年に下は17歳に再度引き下げられている。ストレプトマイシンが発見されるのは戦後なので、このときはまだ結核が死の病。平均寿命は男性42歳、女性43歳。それでも45歳まで応召されている。今なら上は50歳、場合によっては55歳くらいまで引き上げられてもおかしくない。男女平等だから女子もという話もあり得るかもしれない。
絶対安全なところにいて、なおかつまったく戦争を経験していないのが60代から上の世代だ。戦前生まれでも、昭和一桁年後半あたり以降に生まれている世代は応召されていない。それどころか、子供だったので疎開していて空襲すら経験がない人も少なくない。35年(昭和10年)生まれは今79歳。応召年齢が引き上げられた43年生まれは73歳。第一次就職氷河期が到来した95年当時、雇用を守ってもらえた世代そのものだ。若者の就職難は、中高年社員の雇用維持の反作用であった。
憲法解釈の変更を閣議決定でできる、と語った安倍首相
筆者の肌感覚では、この60~70代以上の層には、安倍首相と同じ考えを持つ人が他の世代に比べて多い気がする。この層には「若者を叩き直すためには戦地へ行かせるのがよい」などと発言する人が多いが、自分は戦争を経験しておらず、それがどれだけ人の心に壊滅的なダメージを与えるのか想像がついていないからではないのか。
そしてこの世代こそが、最も選挙に熱心で投票率が高い。この世代から仕事を奪われた20~50代は、今度は国から「国のために戦争に行ってこい」と言われかねない事態に現在陥っているということを、まったく自覚していない。実際に戦地で人を殺した経験を持つ人の多くは、終戦70年近くたった今も、心理的ダメージゆえにその悲惨な経験を口にすることができないといわれる。応召された最年少世代がすでに87歳。経験を口にすることなく鬼籍に入る人はどんどん増えている。
とにかく安倍首相は、憲法解釈の変更という重大な決定を閣議決定でできると言ってのけた人物である。高齢者はあなたたちを守ってはくれない。
(文=伊藤歩/金融ジャーナリスト)