鬼才な起業家であるイーロン・マスクが立ち上げた自動車メーカー、米テスラが製造する自動車には、驚くほどの先進的な技術が詰め込まれている。これまでのクルマづくりの常識をことごとく覆し続けている。
今回も筆者は「こんな妙なつくり方ある?」と半信半疑で試乗を開始したのだが、次第に「これはアリだね」と納得させられてしまった。
試乗した「モデルX」は、大容量のバッテリーを搭載したEVモデルで航続距離は長く、ガソリンモデルに匹敵する507km(WLTPモード)を誇る。動力性能は桁外れであり、7人乗りのSUV(スポーツ用多目的車)の常識を超越する。0-100km/h加速は2.8秒というから、世界のほとんどのスーパーカーよりも鋭いスタートダッシュを披露するのだ。
行政が許すならば、今日からでも自動運転走行が可能だ。ボディのそこかしこに組み込まれたカメラと超音波センサーが、常に360度監視している。衝突を避けながら、目的地に到達する技術がすでに仕込んである。
すべての動作を管理するCPUは、日々アップデートされる。購入してから売却するまで劣化することはあれど進化することがないという自動車の常識を覆す。テスラの本社はシリコンバレーだ。つまり、パソコンの発想なのである。
たとえば、このモデルXは、全長5037mmという「Lクラス」に匹敵する長さがあり、全幅は2070mmもある。しかも全高は1680mmという、ほぼミニバン然とした堂々のボディは、目の前にするとさすがに威圧感がある。駐車スペースを探すのも一苦労というサイズなのだ。
それにもかかわらず、2.5トンのボディを2.8秒で時速100kmまで加速させる。うっかりアクセルペダルを踏み込むと、吐き気がするほどの加速を見舞う。そもそも、それほどの加速が必要なのかという議論は次回に譲るとしても、腰を抜かすほどの仕掛けがそこかしこに潜んでいるのだ。
緻密な制御が施されたドアの開閉
ボディに歩み寄れば、それだけで自動でドアが開く。ドライバーが着座してブレーキペダルを踏み込めば自動でドアが閉まる。だがそれらは、イーロン・マスクの、ユーザーをドッキリさせたいだけの遊び心で開発されたわけではない。
大型SUVなのに、リアのドアははやぶさが羽ばたくかのように羽を広げるのだが、それとてカウンタックに憧れたスーパーカー世代へのオマージュではなく、視覚的ギミックでもウケ狙いでもない。しっかりとした理由があるのだ。
一般的にクルマの後部座席に乗り込むには、ドアを大きく開くかスライドさせなければならないが、どちらにせよ開口部にも限界がある。テスラの場合、「だったら跳ね上げてしまえ」という発想なのだ。乗り込むときに頭上の空間を気にする必要はなく、たとえば髪型を気にする女性には歓迎されそうである。
モデルXのリアドアは、ワイドの空間を認識しながら、大きく大胆に広げてから跳ね上げるのか、一旦羽を畳むようにしてスルスルと引き上げるのか、といった細工をする。障害物があれば、それなりの開き方をする。そんな緻密な制御をするのである。
運転席も同様に、自動ドアの開閉はセンサーがドライバーの立ち位置を把握して作動し分ける。たとえば、横に壁が迫っているなかで前方からドライバーが歩み寄ったとする。開閉のスペースが限られているのならば、ドアはわずかにカシャっと開くだけにとどめる。逆に後ろから迫った場合には、そのままスムーズに乗り込めるように大胆に開く。ドライバーを誘うような気遣いには驚かされた。
乗り心地はドタドタしている。大容量バッテリーを床下に敷き詰めているから、重心は低い。だが、絶対的な重量には抗えない。電子制御サスペンションは乗り心地と操縦性を完璧にバランスさせる。どこかターミネーターに操られているかのような機械的な動きであることは確かだが、それとて、あえて狙ってそうした節がある。これまでの常識を徹底的に覆すのだ。
近未来からやってきたEV(電気自動車)モデルではあるものの、それは近い将来からであり、バソコン世代にとっては現代である。むしろ既存の発想に囚われた老舗のクルマづくりこそが古典的に見える。つまり、こっちが「いま」なのだ。
(文=木下隆之/レーシングドライバー)