新型フィット、ホンダ「使うひと中心」への原点回帰の始まり?数字主義からの脱却は本物か?
ホンダの新型フィットの開発コンセプトは「数字第一主義からの脱却」。その開発姿勢から導き出されたキーワードが「心地よさ」であることはすでに各媒体で周知のとおりだ。
近年、自動車メーカーでは技術の均一化が進み、本質的な部分での差がなくなりつつある。そんななかで自社の商品をより多く売るためには、勢い「ライバル車と比べここが勝っている」という、わかりやすい差別化に走りがちという流れがある。
つまり、他車より室内が何ミリ広いとか、エンジンが何馬力高いとか、あるいは燃費が何キロいいとか、実にわかりやすい数字上の優位性。また、スタイリングでいえばライバル車よりどれだけ目立つか、という具合である。
もちろん、クルマは機械製品だから設計から製造まであらゆる部分にデータ等の数字が必須なワケだけど、それが「商品企画」の段階でも偏重されてしまうと。そして、客観の代名詞である「数字」は、同時に異論を発しにくい空気をつくる力を持っている。
まあ、この手の話は何もクルマの開発に限った話じゃない。僕は事務系のサラリーマンでもあるけれど、やはり業務の「効率化」「合理化」の名のもと、職場では数字や数字的なものが重宝される。派遣社員など、非正規雇用が増えているのは人事面に数字が入り込んだ結果だろう。
ただ、そうして数字やデータによる効率化や合理化を叫んでも、実際の施策では大した結果を残さないケースは珍しくないし、有期雇用により業務の継続や蓄積が途切れ、結局組織にとってマイナスなんて本末転倒な話はいくらでもある。
つまり、数字やデータという手段は往々にして目的化してしまう傾向があると。本来は、それをもとに「何をするか」こそが重要なのだけど、データや分析を集めたことで「仕事をした感じ」になってしまうのかもしれない。
そんななか、最近ではそうした数字主義を見直す企業等が現れているようだ。たとえば、高級チョコレートブランドであるGODIVAの日本法人は、販売手段における従来の数字指向をやめ、社長と社員が「ワイガヤ」で意見交換を行い、ヒット商品を生み出している。これは、同時に社員の志気向上が結果につながるという好例でもある。
実は、クルマの開発でも同様の取り組みが始まっていた。「魂動デザイン」以降のマツダは、試作モデルのいわゆる「クリニック」をやめたという。つまり、不特定多数による「万人受け」の意見集約をやめ、自分たちがつくりたいデザインを大事にすると。まさに数字主義からの脱却だ。
本質的な開発姿勢への取り組み
で、「心地よさ」のフィットに限らず、どうやらホンダはここに来て大きく方向転換を始めたようだ。創業以来の独自の組織を大きく変えたのもニュースである。開発者は「ホンダの原点に立ち返る」と表現するけれど、要は本質的な開発姿勢に取り組むということだろう。
ただし、言うはやすしで、そんな簡単に方向転換だの本質的なモノづくりができるわけじゃない。そこにはブレのない意志や意図を持つ強力な求心力が必須だ。それがなければ早晩「無難な」数字主義に逆戻りしてしまう。その点、いまのホンダに勝算はあるのだろうか?
ひとつ可能性を感じるのは、最近就任した新しいデザイン部長の存在である。ここ数年のホンダはいかつい顔の没個性なスタイリングが続いたが、氏が関わったEV(電気自動車)の「Honda e」は海外のデザイナーにも好評だし、日本では新しい「N-WGN」もシンプルなデザインが魅力的だ。これが偶然でないなら、求心力のひとつになり得るかもしれない。
生産台数を追い続けて「大企業病」と囁かれ、また一部の評論家やユーザーの「スポーティこそホンダ」という無責任な声に翻弄されてきた近年。そこから「使うひと中心」の精神に立ち返ることができのるか? シンプルで、かつあえてスポーツモデルを設定しなかった新しいフィットは、そのスタートとしては決して悪くないと筆者は思う。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)