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『薔薇族』創刊号復刻連載 vol.6

伊藤文學が語る~「妾の子」の寂しい旅立ち

伊藤文學
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伊藤文學が語る~「妾の子」の寂しい旅立ちの画像1 ここに1枚の写真がある。下北沢ののカフェ「織部」でぼくが撮った写真のようで、何年か前のものだ。

 小川陽さん(本名)だ。小川さんの写真を載せたからって、文句を言ってくる人はいない。彼は天涯孤独で、身寄りは一人もいないからだ。

 小川さんは『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜さんのような派手な人ではなかった。2006年7月に河出書房新社から発行したぼくの著書『薔薇族』の人々にも小川陽さんの名前は載っていない。

 多くの『薔薇族』を支えてくれた多くの絵師、作家、それに後続のゲイ雑誌にはいない有能な読者が多くいた。読者のレベルが高かったと言えよう。

 僕が考え出してページを作った「少年の部屋」に投稿してくれた?たまに小学生もいたが、ほとんどが高校生だった。しかし今の時代の若者にはない文章力が秀れていて、長文の原稿を続々と投稿してくれた。

 タイのバンコックホテルで自殺をしてしまった長谷川サダオ君は、素晴らしい才能の持ち主で、小説の挿絵なども数多く書いてくれたが、小説の内容とは関係なく、自分流の絵を描くので、藤田竜さんが文句を言っていたようだ。

 小川さんは少年の絵でも、ごっつい男でも小説の内容にに合わせて器用に挿絵を描いてくれたので大いに助かった。1冊の『薔薇族』の小説に何編も小川さんが内容にふさわしい挿絵を描いてくれたのだから、どれだけ助けられたか分からない。

 小説の挿絵だけでなく、ご自分でも小説を書かれた。ペンネームは松下芳雄だったと思う。彼は本名・小川陽(おがわあきら)。

 1930年2月生まれ。1946年・大鉄工業高校(現・阪南大学付属高等学校)卒。46年、大阪市東住吉保健所に入職、市民課統計係員として勤務。52年、外国映画配給会社宣伝部に移り、58年、東京都中央区織研新聞社編集部に入社。メンズファッション年鑑制作に携わり63年、友人3人とデザイン工房を立ち上げるも65年解散。以降イラストレーター、コピーライター、レイアウター、花火プランナーなど、様々な職業を経て現在に至る。

 その頃、各地で花火大会が開かれたが、お役所との手続きが難しい。それを小川さんが主催者とお役所との手続きを小川さんが仕事としてやっていた。どこの会社か忘れてしまったが、その頃労働運動が盛んな時代で、組合が発行する雑誌の編集から製作まで一人でやっていた。

 それが時代が変わってきて、組合が強かった時代はそれなりの給料をもらっていたが、組合が力をなくしてくると給料も少なくなってきた。いつ『薔薇族』の編集長のぼくを訪ねた来たのかは忘れているが、組合の雑誌ではやっていけなくなってきたのだろう。

 彼は映画好きで、週に何本も試写会で見ている。組合の雑誌にも映画評を載せていたが、ゲイ関係の映画評は載せられない。『薔薇族』に来るようになってきてからは、毎号映画評を書いてくれていた。松下芳雄のペンネームで小説を数多く書いてくれた。彼は制服マニアで警察官が好きだった。器用な人なので料理を作ることが得意だったので、若い警察官を部屋に招いてはおいしい料理を作っては食べてもらうのが何よりの楽しみだった。

 僕が下北沢の北口の2階にカフェ「薔薇の小部屋」と名付けてオープンさせたが、ぼくが店に行こうと思って店の近くまで来た時に、向こうから歩いてきた大学生2人が「ここはゲイの店だよ」と言っているのを聞いて、近所の洋服屋さんはどの店員さんが来てくれる店なので、これはまずいと店名を「エミール」と変えてしまった。

 その頃、若い女優さんなのに年寄り役を見事に演じて有名な女優さん、最近ぼくがよく見ている若い時代劇にもよく出演している。お名前を忘れてしまっているが、北林谷枝さんだったと思う。杉並の自宅まで車で送っていったことがあるのだ。確か文学座の方だったと思うがテレビによく出演して収入もよかったのか、自宅についたら若い人が何人もいた。

 彼らはテレビなどには出られないから、彼らの生活を支えていたのだろう。車の中で連続テレビドラマで医者の世界を描いて有名になった「白い巨塔」の主役が猟銃で自殺した人のことを車中でしゃべってくれた。今でも時代劇を見ているとよくその女優さんが出演されているので懐かしい。

 小川陽さんは4、5年をかけて何度も書き直して、妾の子として生まれた一生をノンフィクションで書かれたものを残している。僕の本を2冊も出してくれた彩流社の河野和憲さんに出版してくれと頼んだが、断られてしまった。今時、無名の作家の小説など、自費出版でなくては出してくれる出版社はない。

 小川陽さんは「妾(めかけ)の子」だ。小川さんの小説のタイトルは『微笑だけの遺言』とある。このタイトルでは何の本なのか分からない。ぼくなら『妾の子』とし、サブタイトルをつけただろう。梗概が1ページ書かれているが、これも詳しく書かれていて長文なのでとても読み切れない。

 「大正時代、大阪では小口運送店を営む2女として生まれた小沢喜久子は家業が不況で倒産したのち、13歳で南地宗右衛門町で芸妓(げいこ)仕込み(下地修行)を始める。

 叔母スエに置屋の女将を紹介されたこともあったが、14歳で保険会社役員の伊賀に水揚げされて妊娠してしまう。(その子が小川陽さんか?)(中略)

 時代に翻弄された薄幸の母。エリートの父を持ちながら恵まれることのなかった息子。不器用だが精一杯だった。絆とは?人を思う心とは?昭和初期から戦後の大阪を舞台に問いかける。」

 彩流社に預けてあった原稿を取りもどしたが、まだ読んでいない。ワープロで打ってはあるが、ぼくの手許に置いたままだ。第1部了と最後にあるから、まだ書き続けるつもりだったのだろう。

 小川陽さんは杉並のアパートに長いこと住んでいた。大家さんもいい人だったようだ。ゲイの映画が日本に入ってくると、僕を誘って試写会に連れて行ってくれたので、ブログにも何度も書いた記憶がある。

 ある日、何の病気か言わなかったが「入院します」と電話があり、それが最後だった。それから電話をかけたが「この電話は使われていません」

 静かに天国に旅立ったのだろう。誰にも看取られずに。哀れだ。小川陽さんのことは忘れられない。このような独り暮らしのゲイ読者が他にも多くいるに違いない。

 ネットを見れない老人たちは、どんな暮らしをしているのだろうか。『薔薇族』を創刊号から読めるようになっているのに、老人たちは読めないだろう。

 ひとり寂しくあの世に旅立ってゆく老人たちのことを思うと胸が痛むが、どうにもしてあげられない。みんな『薔薇族』を支えてくれた人たちなのに…。

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