今から50年も前の1971年7月にぼくは、日本初の同性愛誌『薔薇族』を創刊させた。
1945年(今から75年前、日本はアメリカなどの連合軍に無条件降伏した)中国や東南アジアなどから多くの兵隊たちが日本に帰国してきた。その兵隊たちの中にはゲイの人もいた。『薔薇族』を買い求め投稿してくれた人たち、真似をして出した後続誌にはない貴重な読物だ。これはゲイの歴史に残るものと言えよう。今回は、1990年7月号に載せられた「忘れられぬ男根の手触り!」を引用して話をしよう。
「医者のくせに男根に触るのが好きである。特に若い男根が……。私自身が若くて二十代の頃、私の所属していた環境に於て、年に数回にわたって、大勢の若者の男根を検査した。
検査を受けるのは、二十歳から二十三歳までの若者たちで、性器も一応成熟し、さらに完熟し、さらに完熟へ向かって少しずつ成長を続けているときで、桜でいえば八分咲きから満開という時期である。男根も人生で最も元気旺盛な年齢である。
検査の日は若者たちは、全裸で縦に長い一列を作って並び、先頭の者から順に私の検査を受ける。健康診断といっても視診と稀に問診があるだけで、ほとんどは黒い草むらの中に生えている男根の触診が主目的である。
若者は両足を少し開いて、両掌を後ろの両尻に当てて、私の前に立つ。椅子に腰かけている私の目の前に、様々な形の男根が次々に現れる。そして大小とりどりの双玉がぶら下がっており根と玉の周囲一面は黒い草むらでおおわれている。
さて、私の男根の触診の仕方であるが、短時間に大勢の者を処理しなけれならない場合は、先ず男根をつかんで皮をむき、次に根元から先端の方へ強くしごいて、鈴口に異常の有無をみて、それで終わりである。
時間的に余裕のある時は時間をかけ、興味をそそられる対象物は、丁寧に検査して、その男根の手触りを楽しんだ。丸刈頭のため童顔に見える若者たちが、恥じらいながら全裸で立っている姿は、平素の訓練で鍛えられているだけに、まぶしいほどのりりしさと性的魅力を発散している。
若者たちは男根の大きさは、個人差は激しかったが、すでに成人に達しているから年齢的な差はほとんどなかった。特大、特小は別として、平常時の男根の長さはだいたい6cm~9cmの範囲内であった。包皮は全むけは3割足らずで、程度の差こそあれ、多くの者が仮性包茎であった。
睾丸の大きさは、うずらの卵ぐらいが普通であったが、稀に鶏卵大に近いものもあった。陰毛の疎密も個人差が激しく、中には熊のように毛深くて、男根も睾丸も見えなくなってしまうものもあった。
検査の時に男根が初めから勃起している割合は、五十人につき一人か、二人ぐらいのものであるが、検査を意識したせいか膨れかけた状態のものが、五十人中、十人近くいる。その中で検査でもてあそばれたから、水平ぐらいまで男根が持ち上がるものが、かなりある。
本人は必死で勃起を防いでいるのだろうが、膨れかけている男根が急激に太って硬くなってくるのを感じることがある。
いんきん、たむしを診るとき、睾丸を手にのせて、その大きさや硬さを診る。
触診中に勃起して勇ましく硬直して天を突いた場合は、若者が後ろ向きになって自分の席に戻る間に、待機している仲間に見られてしまうのはつらかろうと思われる場合は、胸に聴診器を当てて男根が下がるまで男根が頭を下げるまで、胸部検診をしてやることもある。
若者たちの数々の勃起を見たが、私が見た範囲内で最も男性的で立派に感じたのは、長さが17cm、太さが5cmで、亀頭が特大で溝が深く、上反りで約45度の前上方へ突出していた。睾丸も巨大で、陰毛も濃密で男らしく、私はただうらやましくて、後頭部に性的興奮を感じながら、うっとりと見とれていた。」
お医者さん、それもかなり年配の方だろうと思われる。なんとも幸せで心優しいお医者さんだ。
終戦間近の頃、ぼくが通う中学の世田谷学園の校舎には、地方から駆り出されてきた兵隊さんが泊まっていた。ぼくは中学1年生で、2年生以上は工場に働きに行かされて、学内にはいなかった。
ある日、教室のガラス窓ごしに何気なくのぞいたら、素っ裸の兵隊たちが並んでいて、M検の最中だった。ぶら下がった男根と黒い陰毛が強烈に頭に残っている。
女の好きな男は、先ず男の男根など手にももったことはない。自分のものがせいぜいである。この先生、まさに幸せな方だ。軍医でなければ、そんなたくさんの男根を触れるものではないからだ。
現在の自衛隊でも、軍隊では性病を恐れるから、M検はやっているだろうが、人権を無視したM検はしていないだろう。昔の軍隊だからやれたことだ。
小さいものが大きくなる。これを触ったときの手応えというものは、なんともいえないものに違いない。女性の胸は触ったからといって大きくなるという感覚はないから。ゲイはこの感触がこたえられないから、次から次からいろんな男を求めるために放浪するのだろう。
自分の意思に反して、息子だけが大きくなったり、小さくなったりする。神さまは馬ことを考えたものだ。自分の意志で息子を動かせるとしたら、面白くもなんともない。
この先生、息子がおさまるまで、胸に聴診器を当てているなんて、心の優しいお医者さまだ。大変な時代に生きてきた先生かもしれないけど、もうこんな幸せなことってできないだろう。とにかく幸せな先生であることに違いない。
それにしても年は取りたくない。88歳のぼくは若い頃は「愛の潤滑液・ラブオイル」の赤い箱を見ると、あそこが大きくなったものだが、今のぼくのモノは皮をかぶって、ちじこまってしまって、小便をするときにも皮をむいて引っ張りだす始末だ。なんとも情けない。
こんな幸せな軍医さんを読者にもった『薔薇族』はすごい雑誌だったのだ。
(文=伊藤文學)