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スズキ、事実上のトヨタ傘下入り…崩れるインド市場の牙城、EVを一車種も投入できず

文=編集部
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スズキ・アルト(「Wikipedia」より)

 スズキを43年にわたって牽引してきた鈴木修氏(91)は6月25日、定時株主総会が行われたグランドホテル浜松・鳳の間(静岡県浜松市)で最後の挨拶をした。

「私がスズキに入社してから、63年間が経過しました。そのうち、社長、会長として経営を担当したのは43年間ありました。この間、数多くの失敗をしでかしました。しかし、失敗から多くを学び、成長することができました。株主の皆さん、お取引先の皆さんありがとうございました。ただ、メーカーは作っておしまいではありません。作って、売ってなんぼでございます。売ってくださる全国の代理店さんをはじめ、4万店を超える販売店の皆様、ありがとうございます。そして、スズキ製品をお使いいただいているお客様に、スズキを愛してくださるすべての皆さまに、感謝、感謝いたします」

 会場は大きな拍手に包まれた。横には2015年に後継社長の椅子に座った長男の俊宏氏(62)が付き添っていた。「中小企業のおやじ」と自称した名物経営者は同日、会長から相談役に退いた。

鈴木修氏の功績

 鈴木修氏は、2代目社長の娘と結婚して1958年に当時の鈴木自動車工業(現・スズキ)に入社し、78年、社長に就任。軽自動車「アルト」「ワゴンR」などをヒットさせた。「どんな小さな市場でもいいから、ナンバーワンになって、社員に誇りを持たせたい」との思いを持ち、その目は新興国市場に向けられていた。

 82年3月、国民車構想のパートナーを募集していたインド政府の調査団が浜松を訪れた。鈴木氏は腕まくりして、黒板に現地に建てる工場の図面を描き、熱っぽく説明した後、「カネが要るなら大手にいけばいい。ウチは技術指導をきちんとやる」と結んだ。このプレゼンテーションがインド進出の決め手となった。翌83年、インドで生産を開始。07年、インド政府は合弁会社の株式をすべて売却し、マルチ・スズキはスズキの子会社となった。

 インド国内の経済成長を追い風に、本格的なモータリゼーションの波にも乗り、業績は急拡大した。インド国内市場におけるマルチ・スズキのシェアは5割を超えた。インド市場にしっかり根を下ろし、現地のトップ企業に上り詰めたことでスズキは名実ともにグローバル企業の仲間入りを果たした。インドでの大成功が、鈴木修氏の経営者人生の最大の勲章である。

 インド進出前の81年の連結売上高は5000億円だったが、21年3月期のそれは3兆1700億円。実に6倍強だ。創業者の鈴木道雄氏から修氏まで、経営の根幹はファミリーで固めた。2代目社長・俊三氏、3代目社長・實治郎氏は道雄氏の婿養子、修氏は俊三氏の婿養子である。スズキは婿養子経営の系譜といっていい。

 悔やまれる出来事もあった。後継者に事実上、内定していた娘婿、小野浩孝氏が急逝したことだ。07年12月12日、取締役専務執行役員だった小野氏はすい臓がんのため52歳の若さで亡くなった。その時の心情を修氏は著書『俺は、中小企業のおやじ』(日本経済新聞出版社)のなかで、こう記している。

スズキの将来を託すべき人材、後継者として期待していただけに、私の喪失感、失望感は言葉では表せないほどでした」

 通産省(現・経済産業省)のエリート官僚だった小野氏は修氏の長女と結婚。修氏に口説かれて01年に役所を辞め(最後のポストは経済産業政策局行動課長)、スズキに入社した。小野氏の早すぎる死で後継者問題は暗礁に乗り上げた。後継者問題がワンマン社長を生涯現役にさせた一番の理由だ。15年、長男の俊宏氏を社長に指名した。

これからの100年をトヨタに託す

 自動車業界は電動化や自動運転といった新技術で100年に1度ともいわれる変革期にある。鈴木俊宏体制にとって電動化対応は大きな課題だが、インド市場の動向も気になる。

 2020年度にスズキは牙城だったインド市場でシェア50%を割り込んだ。インドの成長に目をつけた長城汽車や上海汽車といった中国勢、韓国の起亜自動車が相次いで参入。シェアを奪われた。インド政府は電気自動車(EV)を推進しており、充電インフラ整備のためにインセンティブ政策を打ち出している。それなのに、スズキはインドにEVを1車種も投入できていない。このままでは、50%のシェアを回復するどころか、ずるずるとシェアを落としかねない。

 カギを握るのは2019年に行ったトヨタ自動車との資本提携だ。生涯現役を公言してきた修氏は、「次の100年をどうするか」を常に考えてきた。米ゼネラルモーターズの破綻、後継者として育ててきた娘婿の死、独フォルクスワーゲン(VW)との法廷闘争――。苦難の連続だったが、スズキの行く末が常に頭にあった。

 ITをフルに活用するCASE時代の自動車業界は、競争相手も競争軸も様変わりする。修氏がパートナーに選んだのはトヨタである。創業家出身の豊田章一郎・トヨタ名誉会長とは「心が通じ合える」と語っていた。先代トップから「何かあったらトヨタに」という言葉をかけられていたという。トヨタもスズキも静岡県遠州地域を源流とする企業。地縁で結びついた。

 19年8月28日、トヨタと資本提携で合意した。トヨタが960億円出資してスズキの5%程度をもつ。スズキもトヨタに480億円程度出資する。スズキは20年3月15日、創立100周年を迎えた。次の100年を歩むパートナーとしてトヨタを選んだことになる。

「有給休暇は死んでから嫌というほどとれる」と広言する修氏だが、体力、気力など総合的に勘案すると、これからもスズキを牽引し続けるのは難しい。トヨタとの資本提携は、後継者問題を視野に入れたものであることは間違いない。

 修氏が第一線から退いた。事実上、スズキがトヨタの傘の下に入ったことを意味している。

(文=編集部)

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