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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラ、知られざる楽員たちの意外な行動…舞台裏で噂話、出番後はダッシュで帰宅

文=篠崎靖男/指揮者
オーケストラ、知られざる楽員たちの意外な行動…舞台裏で噂話、出番後はダッシュで帰宅の画像1
「Getty Images」より

「今日、仕事が終わったら、コンサート・マスターもお気に入りのケーキ屋さんに行ってみない?」とか、「今回の指揮者、リハーサル中には今にも怒り出しそうで怖かったよね」とか、ステージ上では指揮者やコンサート・マスターはもちろん、同僚たちが汗だくになって演奏しているにもかかわらず、舞台裏では何人かの楽員がコーヒーカップを片手に、結構大きな声でこんな会話をしているかもしれません。

 もちろん、彼らはさぼっているわけではなく、「降り番」だからです。例えば、同じベートーヴェンであっても、ドラマ『のだめカンタービレ』で有名になった交響曲第7番を演奏するのと、交響曲第5番『運命』を演奏するのとでは、必要な楽器数が違ってきます。

 交響曲第7番と比べて、『運命』を演奏するためには、トロンボーン3名、ピッコロ1名、コントラファゴット1名の計5名、追加が必要となります。この5名は、交響曲第7番を演奏しないので、ステージを降りているという意味で、「交響曲第7番は降り番」といいます。ほかにも、「来週は降り番で休みます」などのようにも使うので、総じて、ステージに乗る必要がない楽員を「降り番」というのです。

 一方、ステージで演奏する楽員は「乗り番」です。ですから、先ほどの例に挙げた5名の奏者は、交響曲第7番は「降り番」、『運命』では「乗り番」ということになります。

 仮に、前半に「乗り番」の『運命』、後半に「降り番」の交響曲第7番というプログラムのコンサートであれば、この5名の楽員は前半が終わり次第、さっさと帰途に着くことができます。もしかしたら、同僚が後半の交響曲第7番の演奏を始めている頃には、すでに帰りの電車の中かもしれませんし、次の電車に乗り換えている猛者までいるでしょう。それほど演奏を終えた楽員の逃げ足は速く、一秒でも早くコンサートホールから出るのに命を賭けている人までいるのではないかと思うほどです。

 反対に、残念ながらプログラムの都合で前半に「降り番」となった場合には、さしてやることもなく、舞台裏や楽屋でコーヒーを飲んだり、忙しくてあまり手入れしていなかった楽器の入念な掃除をしたり、携帯電話をいじるなど、時間を潰して後半の「乗り番」を待つことになります。もちろん、出番があるので決してリラックスはできないわけですが、指揮者がステージにいるのをいいことに、冒頭で話したように指揮者の悪口を言ったりしながら時間を潰しているのではないかと想像したりします。

 幸か不幸か、指揮者は常にステージ上なので、舞台裏での自分の噂話を聞く機会はありません。しかし、僕も若かりし修業時代、舞台裏で副指揮者として使い走りのようなことをやっていた頃には、仲良くなった楽員とコソコソと指揮者の噂話などをしていたので、どんな話で盛り上がっているのか、容易に想像がつくのです。

ステージドアの開閉は“プロの技”

 しかも、最近のコンサートホールでは、ステージと舞台裏を隔てるドアは、とても分厚く防音もばっちりで、ステージからの音もほとんど聞こえず、舞台裏で大きな声で話してもステージや客席に聞こえることはないので好都合です。

 もちろん、ステージドアは舞台裏で噂話をするために分厚くなったわけではなく、舞台裏の些細な物音であってもホール内に漏らさないためです。とてつもなく重くなっており、開け閉めだけでも結構な力仕事となります。小学生以下の子供だと、ビクともしないでしょう。それゆえ、手指が仕事道具である指揮者やソリスト、楽員が開け閉めを行うことはありません。

 このステージドアの開け閉めは、実はとても難しい作業です。力があればいいというような単純な作業ではなく、経験と勘が物を言う“プロの技”なのです。ステージマネージャーという裏方のボスによって行われるのが通常で、上手なステージマネージャーであれば、指揮者が覚悟を決めてステージに行こうと思っただけで、その心の中を読んでいるかのごとく、まるで自動ドアのように、さっと開けてくれます。さらに、若い演奏家が緊張しているのを見て取ると、元気づけたりもしてくれるのです。なぜわかるのかと、不思議に思うことばかりです。

 さらに驚くことに、指揮者やソリストが演奏を終えて舞台裏に戻ってくる際には、ステージドアのギリギリでタイミング良く開けてくれるのです。もしかしたら、ステージマネージャーは超能力者なのかもしれないと思わせられる部分です。

 しかし、ほとんどの超能力にタネがあるように、この絶妙なドアのタイミングでの開閉にもとても原始的なタネがあります。コンサートホールが設計も音響デザインもコンピュータを駆使して建設され、実際のステージや照明設備も完全にコンピュータ制御されている現代であっても、実はステージドアには小さな窓が付けられており、演奏が終わるたびにステージマネージャーが背中を曲げてのぞき込み、指揮者やソリストの帰りを見定めながら、重いドアを開けるのです。21世紀になっても、赤外線センサーや体温感知装置などではなく、マンションのドアの小窓をのぞき込んで来客を確認するのと同じ方法なのです。

「そんな面倒なことをしなくても、ずっとステージドアを開け放しておけばいいのではないか」と思う方もいるかもしれませんが、開けていることでできた空間だけでも音響に大きく影響します。ステージドアは壁面と同じ材質でできており、閉めてしまえば、どこにドアがあるのかわからないくらい、ぴったりと壁面と一体化して、ステージの音響を助けるのです。

 ところで、ステージマネージャーがドアの小窓をのぞき始めると、もうすぐドアが開くということは、もちろん「降り番」奏者もよく承知しているので、どんなにおしゃべりが盛り上がっていても、さっと中断するでしょう。万一、初舞台を迎える学生や若手演奏家で、その塩梅がわかっていない場合には、すぐさまステージマネージャーから「静かに!」と怒鳴られることになります。

 これは日本だけでなく、世界中で共通です。ちなみに、僕も修行時代はよく叱られました。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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