すし職人や音楽家は同業者を一瞬で見破る?”職業病”でわかるヴァイオリニストの過酷さ
すし店の板前さんが休日に何をしているかといえば、ほかのすし店に行って食事をすることが多いと聞いたことがあります。「仕事を離れても寿司ですか?」と驚きましたが、考えてみれば、僕もオフの日を利用して、ほかの指揮者のコンサートや、注目のオーケストラとか聴きにいったりするので、同じことかもしれません。しかし、一般の聴衆のようにコンサートを楽しんでいるわけではなく、ほかの指揮者やオーケストラを聴きながら研究するためなので、残念ながら嬉しく鑑賞するという感じではありません。
板前さんに話を戻すと、最近注目されているすし店や、有名な職人が握っている名店のカウンター席に座って、目の前で行われている仕事を見にいくわけです。そこで、「私も寿司を握っているんですよ」などと目の前の板前さんに言うことは、もちろんありません。それにもかかわらず、一般の客と同じように淡々と注文をしているだけで、「同業者の方でしょうか?」と言われてしまうそうです。
僕のように単なる寿司好きなら、中トロとエンガワを注文しようとして、「いやいや、白身から頼むのが”通”らしい」と思いながら、わざわざ「春だから旬の鯛を」などと知ったかぶりをしながら注文するわけですが、プロのすし職人は、こんなものを頼まないようです。大トロなんて決して頼まずに、同じ鯛でも職人の仕事がわかる「こぶ締め」、すし職人に技量がなければすぐに固くなってしまうような「煮ダコ」や「煮はまぐり」のように、高等技術を要するネタばかり注文していると、「お客さんもすし屋さん?」と言われてしまうわけです。
しかし、実は客が注文する前から、カウンターの中で寿司を握っている職人は、「おや、この客は同業種ではないだろうか?」と感じるものがあるといいます。それは、カウンター越しに見る客のきれいな白い手指だそうです。
抗菌効果や美肌効果まであるといわれている「酢」が、長年にわたる仕事によって手指に染みついているからかもしれませんが、何よりも繊細に指を動かす仕事をしている人は、高齢になっても指がきれいという話は、皆さんも聞かれたことがあるのではないでしょうか。
音楽家も同業者を瞬時に見破る
音楽の世界でも、ピアニスト、ヴァイオリン奏者、フルート奏者をはじめとして、70歳を超えていても現役の演奏家は手指がキレイです。たとえば、顔も知らない初めて会うソリストがマネージャーと並んでいたとしても、手指を見たら一目瞭然です。しかも、「この人はフルートでもなく、ピアノでもなく、ヴァイオリン奏者だな」と、すぐにわかります。
ヴァイオリン奏者は、幼少の頃からあごと肩の間にヴァイオリンを挟んで、ずっと練習をしています。ヴァイオリンは左手で楽器の重みを支えているように見えますが、実際は左手ではなくアゴと肩で挟むことで楽器を支えています。それを長年続けているうちに、中学生くらいからアゴのあたりにアザのような黒ずみができてくるのです。それがあるのは、ヴァイオリン奏者と、同じく首と肩で楽器を挟むヴィオラ奏者です。「この黒ずみを気にする若い女の子もいるんだよ」と教えてくれたのは、今や日本を代表するヴィオラ奏者のひとりになった、僕の音楽大学の同級生です。
そしてもうひとつ、ヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者には共通点があります。それは、会話をしている時にたびたび「なに?もう一度話して」と、右耳をこちらに向ける奏者が多いことです。彼らの左耳は、常に楽器にくっつけているので、特に高音で痛めつけられ続けているのです。左耳の難聴は、ヴァイオリン奏者たちにとっては職業病といえます。そのため、近年は左耳に耳栓をして予防している奏者も増えています。
ところで、黒ずみができるのが嫌ならば、左手でも楽器の重さを支えたらいいのではないかと思いますが、弦を素早く押さえて音程を変える左手に楽器の重さがかかってきたら、指をうまく動かせなくなってしまいます。たとえば、フランス印象派の巨匠であるモーリス・ラヴェルの代表作『ダフニスとクロエ』第2組曲の最初の部分などは、ヴァイオリン奏者はたった1秒間に10回も手指を動かして弦の違う場所を押さえていきます。
この曲では、木管楽器奏者も同じ数だけ手指を動かしているのですが、この曲が特別なわけではなく、もっと速く動かさなくてはならない曲もまだまだあります。考えてみたら、オーケストラでは、常人では想像もつかないような、ものすごいことが行われているわけですが、こういった手指の運動が、手指をいつまでもきれいに保つともいわれています。
確かに、すし職人も指を繊細に動かしていますし、同じく手先を使う着物の手織り職人、刺繍職人、陶芸家なども、80歳を超えてもきれいで若々しい手指を持っています。
ところが、ピアニストの場合は少し違います。手指が美しいのはもちろんですが、どちらかというと筋張っており、手の筋肉と筋が限界まで張り巡らされているようです。弦楽器は弓を持った右手、管楽器は息で音の強弱をつけるので手指に力を入れることはなく、むしろ力みは禁物です。
一方、ピアノは手指の力で音の強弱をつけるため、特に大きな音を出す場合には、一本一本の指を強く鍵盤に叩きながら、同時にものすごい速さで指を動かしていくわけで、訓練の賜物とはいえ、ある意味、人間の限界を超えているようなものなのです。若い時代に腱鞘炎を起こしてしまうことは、まるでピアニストの通過儀礼のようによくみられます。
楽器を演奏することは、人生に楽しみを与えてくれるだけではなく、美容効果もあるようです。読者のみなさまも、今、多くなっている自宅時間に、始めてみてはいかがでしょうか。
(文=篠崎靖男/指揮者)