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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

クラシックコンサート、ソリストが驚愕の理由でドタキャン…代役を立てる場合と立てない場合

文=篠崎靖男/指揮者
クラシックコンサート、ソリストが驚愕の理由でドタキャン…代役を立てる場合と立てない場合の画像1
「Getty Images」より

「今回、ピアニストが急にキャンセルしたので、代理のピアニストになります」
「指揮者が来なくなったので、ピンチヒッターをお願いしたいのですが」

 このような”ドタキャン”は、日本ではなかなかないのですが、相手が困ろうが気にしない”個人主義者”が多い欧米ではよくあることです。「ずっとアメリカを回っていたのだけれど、毎日演奏していたので疲れ果ててしまったので、もう家に帰る」という理由で公演をキャンセルした有名ピアニストの話を聞いていると、「最初に仕事の依頼を受ける際に、スケジュールが大変なことは想像できただろう」と、生真面目な日本人指揮者の僕はあきれてしまいます。ところが、欧米の指揮者にも同じような理由のキャンセル話がゴロゴロと転がっているのです。

「連続してコンサートを指揮し続けていたので、かなり疲れてしまって余裕がなくなった」といった理由や、作曲もする指揮者が「今、作曲している作品の締め切りに間に合わなくなりそう」などと言い、それこそズバッとキャンセルしてしまうこともありました。

 もちろん、本当に病気にかかってしまい、残念ながらキャンセルせざるを得なくなる場合もあります。しかし、なかには「ピアノの調律が気に入らない」という理由で、せっかくイタリアから日本までやってきたにもかかわらず、当日になっていとも簡単にキャンセルした世界的巨匠ピアニストの話も、クラシック音楽界では有名です。東京の大ホールに詰めかけた2000人の観客が開演を待っているところに、ピアニストではなく主催の担当者がステージに現れ、「今日のコンサートは中止となります」と平身低頭に謝罪するようなことは、めったにあるわけではないものの、これまでに何度もありました。

 ちなみに、そのピアニストは「幻のピアニスト」として有名で、むしろコンサートで弾いてくれることのほうが幸運と思っているのか、キャンセルされても「彼だから仕方がない」と、観客はあっさりホールを後にするのですが、その後が大変なのは主催者です。2000枚のチケットの返金作業だけでなく、ホールのレンタル料金やコンサートの広報などの請求書も、当然のごとく回ってきます。ですから、このような”キャンセル魔”との仕事はギャンブルなのです。

 ただ、少しだけピアニストの肩を持つとすれば、ピアノの調律は音程だけでなく自分の理想の音色にとっても大切で、そのなかでも飛び抜けてストイックで理想が高いことで有名なこのピアニストなら仕方ないかもしれません。

指揮者やソリストがドタキャンしたらどうなる?

 他方、類まれな実力で世界を席巻し、日本でもテレビCMに出演して大ブームを引き起こしたアメリカ人ソプラノ歌手などは、アメリカの地方都市での本番直前、急に「マクドナルドのハンバーガー」を買ってきてほしいと要求。ところが、その街にはマクドナルドがなく、他のチェーン店のハンバーガーを買って差し出したところ、「マクドナルドじゃない」と怒り出して、演奏会を寸前になってキャンセルしたそうです。

 これは、いくらなんでもひどいと思いますが、歌手が出てくるのを今か今かと楽しみに待っていた観客に対し、状況を説明しなくてはならなかった主催者は気の毒です。まさか、「この街にはマクドナルドがないので、キャンセルになりました」などと言うわけにはいかなかったでしょう。

 そんな場合には代役を立てればいいのではないかと思われるかもしれませんが、先述のピアニストやソプラノ歌手のような1人舞台のリサイタルでは、ソリストがキャンセルした場合、すなわちコンサート中止となります。それは、同じモーツァルトの曲であっても、観客はA氏の弾くモーツァルトを聴きたいと思いチケットを購入しているわけであって、A氏がキャンセルしたからといって、代わりにB氏が弾けばよいというわけにはいかないからです。

 ところが、オーケストラコンサートの場合は事情が異なります。70~80名からなる大所帯のオーケストラなので簡単には中止できないということもありますが、そのオーケストラが演奏するモーツァルトやチャイコフスキーを聴きたくてチケットを買う方が多いのです。そのため、特定の指揮者やソリストありきで企画されたコンサートは別として、代理の指揮者やソリストがやってくることになります。

 ちなみに、代理の指揮者やソリストは、急に依頼を受けたにもかかわらず、緊張よりも嬉しそうな顔をしていることがほとんどです。僕もフィンランドのオーケストラの芸術監督を務めていた際に、急なソリストのキャンセルに遭遇することがよくありましたが、ほとんどの代理のソリストはとてもニコニコやってきていました。

 代理でやってくるソリストは、すなわち、その週には仕事がなかったということです。演奏機会も収入もないと思っていたところへ、急に仕事が舞い込んできたわけで、嬉しいのです。さらに、急な代理出演は、若手音楽家にとっては大きなチャンスの場にもなります。

 僕も、指揮者として海外で仕事を始めた頃には、「指揮者が病気になった。明日からリハーサルが始まるけれど、このプログラムを指揮できるか?」とマネージャーから連絡が入り、急いでスーツケースに燕尾服、指揮棒、楽譜、そして海外のホテルでは用意されていない歯ブラシとひげそりを入れて、そのまま駅に向かうということが何度もありました。

 ちなみに、僕自身は幸運なことにキャンセルをした経験はありませんが、二度、初日のリハーサルに行けなかったことはあります。両方ともに、移動時のフライトのキャンセルでした。一度目は、英ロンドン・ヒースロー空港から南アフリカへ向かう際に、滑走路で加速していた航空機のエンジンが火を噴いて緊急ブレーキがかかった時。これは、燃えたエンジンを間近に見るという恐ろしい経験でした。二度目は、旅客機の故障で結果的に一晩、成田空港のターミナルの固い床で、支給された寝袋で寝ることになった時。

 このような時には、相手のオーケストラ事務局と、リハーサルスケジュールの組み直しの連絡で大忙しになります。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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