東大も直面する財政難…8.5兆円のハーバード基金、交付金頼みの日本の大学

●この記事のポイント
東京大学が2026年度に法人化後初の2年連続赤字となる見通しであると判明。運営費交付金は04年度比1445億円減の一方、米ハーバード大学基金は約8.5兆円規模。日本の博士人材の民間就職率は約4割にとどまるなか、ジョブ型雇用で高度人材を獲得する企業の戦略を解説する。
日本経済新聞は8月6日、東京大学が2026年度に2年連続の最終赤字となる見通しで、研究者の削減が不可避だと報じた。事実であれば、2年連続の赤字は国立大学法人に移行した2004年度以降で初めてのことになる。人件費や実験機器などの価格上昇が響き、いわゆる「貯金」にあたる繰越金も数年で枯渇する見込みだという。
ただし、この報道内容については留意が必要だ。東京大学は翌7日、公式サイトで「研究者数の削減を検討している事実はなく、そのような方針や計画を決定した事実もない」「2026年度予算を文部科学省に提出したという事実もない」と、報道の一部内容を明確に否定する見解を発表している。一方で「財務環境は人件費や物価の上昇などにより厳しさを増しており、中長期的な視点から財務基盤の強化に取り組む必要があることは事実」とも認めており、収入基盤の拡充や業務構造改革に取り組んでいるとしている。
つまり、「研究者の即座の削減が決定した」という話ではないが、日本最高学府をもってしても財務基盤が盤石とはいえない状況にあることは、大学自身も否定していない。この点から、日本の大学財政が構造的な転換点に差し掛かっていることがうかがえる。
本稿では、この報道を出発点に、なぜ米国トップ大学が独自に資金を稼ぎ出せる一方で日本の大学は公的資金への依存から抜け出せずにいるのかという構造的な違いを整理したうえで、大学から市場へ流出しうる高度専門人材を、人材獲得競争に悩む民間企業がいかに活かせるかを考察する。
●目次
- なぜ米国トップ大学は「稼ぎ」、日本の大学は交付金頼みなのか
- 「稼げない」構造がもたらすリスクと、東大の説明
- 高度研究人材にとって、民間企業は「もう一つの選択肢」になり得るか
- なぜ日本企業は博士人材を活かしきれなかったのか
- 民間企業が高度人材を「即戦力」に変えるための視点
- 大学の財政課題を、日本全体の人材戦略に転換する視点を
なぜ米国トップ大学は「稼ぎ」、日本の大学は交付金頼みなのか
ハーバードを支える約8.5兆円の大学基金
米ハーバード大学の運用資産(エンダウメント)は2025会計年度(2025年6月期)末時点で569億ドル、日本円で約8.5兆円に達し、世界の大学基金として最大規模を誇る。同年度の運用リターンは11.9%で、前年度から約40億ドル積み増した。この基金からの分配金は2025年度だけで25億ドルにのぼり、大学の総収入の実に37%を占める。ポートフォリオの7割超をプライベートエクイティやヘッジファンドといったオルタナティブ資産が占め、数百年単位の時間軸で積極運用する点が特徴だ。
ただし誤解してはならないのは、ハーバードでさえ運営費の3分の2近くは基金以外の財源——連邦政府や民間からの研究助成金、学費、寄付金——で賄っているという点である。基金は「万能の財源」ではなく、あくまで安定した収益の柱の一つという位置づけだ。
日本の大学は「運営費交付金」への依存から抜け出せていない
対照的に、日本の国立大学の主な収入源は国からの運営費交付金である。この交付金は国立大学法人化が始まった2004年度以降減少傾向が続いており、2026年度は1兆971億円と、2004年度に比べて1445億円減少している。東京大学に限らず、国立大学全体が「自立運営」を掲げながらも資金不足や制度上の制約から抜け出せていない構造がある。
日本にも、この財源不足を補う目的で2022年3月に運用を開始した「10兆円規模の大学ファンド」が存在する。2023年度は約9934億円のプラス、運用利回り約10%を記録するなど一定の成果を上げており、2025年度も運用開始以来最高水準の収益を計上したと報じられている。もっとも、この資金の主目的は「国際卓越研究大学」に指定された大学への重点支援であり、運用益がそのまま個々の大学の経常収支を直接的に補填する仕組みではない点には注意が必要だ。
「ハーバードの強さは基金の規模そのものより、”運用に賭けられる長期の時間軸”と”寄付文化に裏打ちされた継続的な資金流入”にある。日本の大学ファンドはまだ発展途上だが、方向性としては正しい。問題は、個々の大学がライセンス収入や産学連携収益を自ら生み出す仕組みが、米国に比べて未成熟なままだという点だ」(高等教育財政に詳しい経済アナリストの松田均氏)
「稼げない」構造がもたらすリスクと、東大の説明
大学が自己財源を確保できない状態が続けば、物価高や人件費上昇のたびに経常収支は圧迫される。今回の報道でも「研究者の削減不可避」という表現が用いられたが、前述のとおり東京大学はこれを否定しており、現時点で具体的な人員削減計画が確定した事実は確認されていない。
とはいえ、財務環境の悪化そのものは東京大学も認めている以上、任期付き研究者やポストドクターの雇用環境、若手研究者の新規採用枠といった部分に中長期的なしわ寄せが及ぶリスクは、他の主要国立大学も含めて引き続き注視すべき論点である。国際的な論文数シェアや研究力の相対的低下が指摘されて久しい日本にとって、大学の財政基盤の強化は一過性の話題ではなく、継続的に検証すべき構造的課題だといえる。
高度研究人材にとって、民間企業は「もう一つの選択肢」になり得るか
大学の財政状況にかかわらず、日本にはすでに構造的な課題がある。それは、博士号(PhD)を持つ高度研究人材の多くが、その専門性を十分に活かせる場を国内で見出しにくいという問題だ。
文部科学省がまとめたファクトブックによれば、日本の博士課程修了者のうち民間企業等(公的機関を含む)へ就職する割合は約4割にとどまり、他の主要国と比べて低い水準にある。一方で三菱総合研究所の試算では、2035年には日本全体で約190万人の人手不足が生じ、うち専門職人材の不足は約170万人に達すると見込まれている。生成AIやディープテック領域の研究開発を担う人材の獲得競争は世界的に激化しており、論理的思考力・実験計画力・専門知の深さを備えた博士人材は、企業のR&D部門や新規事業開発にとって本来、極めて希少な戦力となり得る存在だ。
「博士人材は”扱いにくい”のではなく、”評価する物差しを持っていない企業が多い”というのが実態に近い。専門性を正しく処遇できる制度があれば、博士人材は即戦力になり得る」(人事・労務コンサルタントの松本祐樹氏)
なぜ日本企業は博士人材を活かしきれなかったのか
背景にあるのは、新卒一括採用と年功序列を前提とした従来型の賃金体系である。20代後半まで研究に専念してきた博士人材に対し、学部卒・修士卒と同一の初任給テーブルを適用する仕組みでは、専門性に見合った処遇を提示できない。加えて、研究職以外のキャリアパスが限られ、「専門性をどう評価すればよいか分からない」という採用現場の戸惑いも、ミスマッチを助長してきた一因とされる。
もっとも、この状況は近年変わりつつある。経済産業省が2023年度にまとめた調査では、日立製作所や富士通、中外製薬などが、ジョブ型人材マネジメントを軸に博士人材の採用・処遇制度を見直す取り組みを紹介している。富士通は2020年からジョブ型人材マネジメントを段階的に導入し、2026年度以降の新卒入社者について学歴別の一律初任給を廃止、ジョブレベルに応じた処遇へ移行すると発表した。高度な専門性を持つ人材については年収が約1000万円程度になる場合もあるとしている。日立製作所も2026年度採用計画で新卒採用の「ジョブ型採用」への完全移行と、博士人財の自律的キャリア形成支援を打ち出している。
実際に企業で働いた経験のある博士人材への調査(レバテック、2025年1月実施)では、回答者の約7割が「民間企業で働いて良かった」と答えており、適切な受け皿さえあれば博士人材と企業のマッチングは十分に成立し得ることを示唆している。
民間企業が高度人材を「即戦力」に変えるための視点
第一に、専門職スペシャリストとしての評価軸と報酬体系の整備が不可欠だ。新卒一括採用の枠組みの外側に、ジョブレベルや専門性に応じた処遇を設計する動きは、富士通や日立の事例が示すように、すでに一部の大手企業で先行している。
第二に、共同研究費の拠出にとどまらない、人材獲得を見据えた産学連携のあり方が問われる。研究テーマ単位の連携から、個々の研究者のキャリアパスまで視野に入れた採用戦略への転換が求められる。
第三に、研究で培われた課題設定力や検証能力を事業成果に結びつけるオンボーディング体制の構築である。研究と事業開発では評価の物差しが異なるため、入社後の伴走支援やメンター制度が、博士人材の定着とパフォーマンス発揮の鍵を握る。
「博士人材の獲得は”福利厚生”ではなく経営戦略そのものだと捉える企業が増えている。重要なのは採用して終わりではなく、事業目標に紐づけて評価する仕組みを社内に作れるかどうかだ」(同)
大学の財政課題を、日本全体の人材戦略に転換する視点を
東京大学をめぐる今回の報道は、事実関係について大学側から一部否定があった一方で、日本の大学財政が国からの交付金頼みという構造的な限界に直面しつつあることを改めて浮き彫りにした。米国トップ大学のような巨大な基金運用モデルをそのまま日本に当てはめることは容易ではないが、大学ファンドの拡充や産学連携の収益化など、自走的な財源確保に向けた取り組みは着実に進んでいる。
同時に、大学の構造改革を静観するだけでなく、すでに存在する高度専門人材——博士号取得者をはじめとする研究人材——を、企業が主体的に活かす視点も欠かせない。ジョブ型雇用や適正な処遇制度の整備が進めば、大学発の高度人材は日本企業の研究開発力や新規事業創出力を底上げする重要な戦力となり得る。大学の財政課題と企業の人材戦略は、一見別々の問題に見えて、実は日本全体の「知の活用」をどう設計し直すかという、同じ問いの両輪なのである。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=松本祐樹/人事・労務コンサルタント)
※本稿は2026年8月15日時点で確認できた報道・公開情報に基づいて作成しています。東京大学の財務状況に関する報道内容については、大学側から一部否定する公式見解が出されており、本稿ではその双方を併記しています。










