生命保険が「健康寿命」に投資する理由…Vitality、ドルつみ、生物学的年齢の現在地

●この記事のポイント
生命保険は「万一への備え」から、加入者の健康寿命を延ばすモデルへ移りつつある。英Vitalityによる会員46.5万人の分析、住友生命「Vitality」(累計200万件超)、健康行動が積立額に反映される「ドルつみVitality」、米Fountain Lifeの事例を検証する。あわせて、エピジェネティクス連動保険の現状と、ゲノム情報による差別防止など日本の制度面の課題を整理した。
亡くなったら、あるいは病気になったら保険金が出る。18世紀の英国で近代的な生命保険が形になって以来、この「万が一への備え」という構図はほとんど変わっていない。その前提が、いま静かに揺らいでいる。
変化の方向は、事故が起きるのを待つ保険から、加入者が健康で長く生きることに保険会社自身が関わっていく保険へ、というものだ。ウェアラブル端末で日々の活動量を測り、血液検査の結果を引受や保険料に反映し、AIでリスクを継続的に見直す。こうした「動的(ダイナミック)」な保険はすでに実用段階にある。
本稿では、健康寿命の延伸(ロンジェビティ)と保険・金融が結びつく構造を、公開データと実際の商品をもとに整理する。同時に、技術がまだ追いついていない部分や、制度・倫理面の論点も併せて見ていきたい。
●目次
- 「死亡統計」から「生物学的年齢」へ
- 先行事例に見る「健康と保険の接続」
- 金融への波及 ――「ヘルスキャピタル」という見方
- 大手とスタートアップ、それぞれの勝機
- 越えるべき3つのハードル
- 「穴埋め」から「伴走」へ
「死亡統計」から「生物学的年齢」へ
保険会社が加入者の健康に踏み込む理由は、きれい事ではなく経済合理性にある。死亡保障であれば、加入者が長く生きるほど保険金の支払いは先に延び、その間の保険料収入と運用益が積み上がる。
ただし、ここには一つ注意が要る。年金や医療・介護保険では、長生きそのものが支払い増を招く。保険会社にとっての理想は「長い寿命」ではなく「病気や要介護の期間が短い寿命」だ。だからこそ、論点は平均寿命ではなく健康寿命に移る。
日本の場合、その差は小さくない。厚生労働省によると2025年の平均寿命は男性81.35年、女性87.33年。一方、2022年時点の健康寿命は男性72.57年、女性75.45年だ(算出年が異なるため単純な引き算は参考値)。男性で約9年、女性で約12年。この期間をどう縮めるかが、保険の収益構造にも直結する。
変化を後押ししているのが、健康状態を測る技術の進歩だ。従来の保険料は、年齢と性別ごとの死亡率をまとめた「生命表」を基に決まる。実際の年齢(暦年齢)が同じなら、体の状態が違っても同じリスクとして扱われてきた。これに対し、DNAメチル化のパターンから老化の進み具合を推定する「エピジェネティック・クロック」など、「生物学的年齢」を測ろうとする研究が進んでいる。
健康状態が見えるようになれば、保険の古典的な課題にも手が届く。ひとつは「逆選択」、つまりリスクの高い人ほど保険に入りたがる情報の非対称性。もうひとつは「モラルハザード」、加入して安心した結果、健康への気配りが薄れる問題だ。健康連動型の保険は、加入後の行動に報酬を付けることで、特に後者に効いてくる。
「生命表は集団の平均を表す道具です。個人のデータが増えれば、平均からのズレを保険料に反映する余地は広がります。ただ、そのデータが将来の死亡率をどれだけ説明するのか、数理的な検証には長い時間がかかります」(ファイナンシャルプランナー・荒井友美氏)
先行事例に見る「健康と保険の接続」
Discoveryの「Vitality」と日本での展開
健康連動型保険の起点として必ず名前が挙がるのが、南アフリカの保険グループDiscoveryが生んだ「Vitality」だ。歩数や運動、健診の受診といった行動をポイント化し、保険料や特典に反映する。
英国法人Vitalityは2025年1月、約46万5000人の会員を7年間追った分析を公表した。運動しない状態から活動的になった会員は死亡率が最大57%低下し、平均余命は最大5年程度延びるという。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の検証を経たとしているが、運動する人がもともと健康だった可能性もあり、事業者自身の公表値として読むのが妥当だろう。
日本では住友生命が2018年7月に「住友生命『Vitality』」を発売し、2025年1月に累計販売件数が200万件を超えた。2026年1月には、健康活動で貯めたコインを積立に回せる米ドル建ての貯蓄性保険「ドルつみ Vitality」も発売。10年間で最大60万円相当までを満期保険金の上乗せに充てられる。健康行動が、割引ではなく「資産の増加」として返ってくる設計だ。
超早期発見型の会員制サービス
米国では、全身MRIや全ゲノム解析、冠動脈CTなどをまとめて提供する会員制の予防医療サービスが広がっている。代表例のFountain Lifeは、上位プランが年間1万〜2万ドル台とされる富裕層向けの設計だった。それが2026年7月、100項目超の血液バイオマーカーと体組成測定を含む年間595ドルのプランを打ち出し、企業の福利厚生も視野に入れている。富裕層のサービスが裾野へ降りてくる流れは、保険や福利厚生との組み合わせを現実的にする。
エピジェネティクス連動保険は「まだ実験段階」
生物学的年齢で保険料を決める試みもあった。米FOXO Technologiesは唤液のDNAメチル化を引受に使う生命保険を手掛けたが、2023年10月に新規販売を停止している。再保険大手のGen Reが2024年2月に公表したレポートも、引受への活用は「探索段階」と位置づけ、サンプル数の少なさや測定の再現性を課題に挙げた。「若返れば保険料が即座に下がる」商品は、現時点では概念の域を出ていないと見るべきだ。
「エピジェネティック・クロックは集団では死亡リスクとの相関が確認されていますが、個人の測定値は検査法や検体でぶれます。数カ月単位の変化を保険料に直結させるには、まだ検証が足りないというのが研究者の共通認識だと思います」(同)
金融への波及 ――「ヘルスキャピタル」という見方
資産運用の世界では長く「資産寿命」が議論されてきた。だが実際には、資産寿命と健康寿命のズレが問題になる。資産は十分でも要介護期間が長ければ使い道は限られる。逆に健康で長生きした結果、資産が先に尽きるリスクもある。健康とお金を別々に計画していては、どちらの問題にも対応しにくい。
そこで健康そのものを、将来の稼得力や生活の質を生み出す「資本」と捉える発想が出てくる。経済学では1970年代から「健康資本」として論じられてきた考え方だが、ここに測定技術が加わり、金融商品の設計に使える段階に入りつつある。
実例はすでにある。前述の「ドルつみ Vitality」は健康行動を資産形成に直結させた。英国では、喫煙や持病などの健康状態を告知すると年金额が上乗せされる「エンハンスト・アニュイティ」が以前から普及している。余命が短いと見込まれる人ほど毎年の受取額を多くする、健康連動型の年金といえる。
この考え方を延長すれば、自立して暮らせる期間の見込みに応じて受取のペースを変える年金や、リバースモーゲージの設計も理屈の上では成り立つ。ただし日本で商品化された例は確認できず、あくまで今後の検討課題という段階だ。富裕層向けの資産管理でも、予防医療への支出やロンジェビティ関連企業への投資が話題に上ることは増えたが、資産区分としての定義や統計はまだない。
「資産設計の相談では、何歳まで生きるかより、何歳まで自分の足で歩けるかの方が計画に効いてきます。健康への支出を消費ではなく、将来の医療・介護費を減らす投資として数字で話せるようになれば、顧客との対話は変わるはずです」(同)
大手とスタートアップ、それぞれの勝機
まず資金の流れを見ておきたい。再保険ブローカーのGallagher Reによると、2025年の世界のインシュアテックへの投資額は50億8000万ドルで前年比19.5%増。ただし内訳を見ると損害保険分野が34.9%増えたのに対し、生命・医療分野は15億9000万ドルと4.6%減っている。投資額の約3分の2はAI関連の企業に向かった。
この数字は、健康連動型の生命保険が短期で成果を出しにくい事業であることを示している。死亡率の改善を証明するには年単位のデータが要る。資本と顧客基盤、契約データの蓄積を持つ既存の大手生保にとっては、むしろ有利な属性だ。一方で、ウェアラブルのデータ解析や検査技術、継続率を上げるアプリ設計といった個別の領域では、スタートアップのほうが動きが速い。
そのため競争の軸は、データを自社で囲い込むことより、健診機関、フィットネス、小売、機器メーカーを工夫してつなぐ力に移る。住友生命のVitalityも、発売時に11社だった提携企業が2025年時点で23社に増えている。
収益の形も変わりうる。保険料収入に加え、企業の福利厚生としての健康プログラム提供や、予防サービスの月額課金などが挑戦されている。ただし健康データを次の収益に使う場合は、本人の同意を得た範囲に限ることが絶対条件になる。
「生保の強みは数十年単位で顧客と付き合う契約にあります。スタートアップは技術とスピードで勝負する。役割が補完的なので、排他的な競争より提携が基本線になると見ています」(同)
越えるべき3つのハードル
1. 選別と差別の境界線
リスクを細かく測れるほど、保険料の差は大きくなる。その行き着く先には、本当に保障を必要とする人が保険に入れないという逆説がある。日本では2023年にゲノム医療推進法が成立し、ゲノム情報による不当な差別への対応が国の責務とされた。生命保険協会は「引受・支払実務で遺伝情報の収集・利用を行っていない」と明言しており、金融庁も2025年3月に業界の対応状況を公表している。遺伝情報と生物学的年齢の線引きをどうするかは、今後の論点になりうる。現状の健康連動型商品が「加入後の努力に報いる」設計を基本としているのは、この問題を意識してのことだろう。
2. データの精度と安全性
歩数は端末を身につけた別人でも稼げる。機種によって計測値も異なる。保険料や資産に直結するなら、不正検知と計測の標準化は避けて通れない。加えて医療・健康情報は個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に当たりうる。漏えいしたときの損害は、購買履歴などとは比べものにならない。
3. 公的医療保険との役割分担
日本には国民皆保険があり、民間保険はその上乗せという位置づけだ。民間の健康サービスが充実するほど、もともと健康意識の高い層や所得の高い層に恩恵が偏る恐れもある。自治体の健康ポイント事業や特定健診とどうつなぐかも含め、公民の役割分担を設計する視点が欠かせない。
「技術的に測れることと、保険料に使って良いことは別の問題です。本人が変えられない要因で不利になるのか、努力が報われるのか。その区別を商品設計の段階で説明できるかが、社会に受け入れられるかどうかの分かれ目になります」(同)
「穴埋め」から「伴走」へ
健康連動型の保険は、商品を少し改良したという話ではない。保険会社と加入者の利害が「健康で長く生きる」という一点で重なるように、契約の形そのものを組み替える試みだ。事故が起きたあとに穴を埋める役割に加え、日々の行動に寄り添う役割を担うことになる。
とはいえ、健康効果の検証や生物学的年齢の精度、差別防止のルール作りはまだ途上にある。変化は一気にではなく、データの蓄積に合わせて段階的に進むと見るのが現実的だろう。
この構造は保険に限らない。顧客に長く付き合う事業であれば、顧客が元気でいる期間の長さはそのまま取引期間の長さになる。自社のサービスの中に、顧客の健康寿命を延ばす動機づけをどう組み込めるのか。そして、そのために扱うデータにどこまで責任を持てるのか。金融に限らず、多くの企業にとって考える価値のある問いだ。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=荒井友美/ファイナンシャルプランナー)
【主な参照データ・出典】
厚生労働省「令和7年簡易生命表の概況」
健康寿命(2022年)男性72.57年・女性75.45年(厚労省公表の解説)
Vitality UK「Vitality extends members life expectancy by up to five years」2025年1月
Longevity.Technology「Fountain Life makes longevity accessible with $595 membership」2026年7月
World Longevity Clinics「Fountain Life Alternatives: Cost, Membership… 2026」
FOXO Technologies Form 10-K(2024年提出)
Gen Re「Epigenetic Testing – The Way Ahead for Life & Health Underwriting?」2024年2月
Insurance Journal「Global Insurtech Funding Surges…: Gallagher Re」2026年3月
生命保険協会「生命保険の引受・支払実務における遺伝情報の取扱いについて」
金融庁「ゲノム情報による不当な差別等への対応の確保(保険分野における対応)について」2025年3月











