本部が知れば晴天の霹靂だろう。顧客満足が高いことで知られる全国展開の飲食店チェーンのフランチャイズ店(FC)でパワーハラスメントが横行しているのだから。
問題の主は、長年パートを続けているバックヤードの女性従業員・Aさんで、調理以外に新人の教育を担当している。いくら記憶力のいい人間でも、まったく未知のことを一度聞いただけで膨大な量を記憶するのは困難だ。それがAさんには気に入らないらしく、怒りが爆発することが多々あった。
新人アルバイト店員は社会経験のない高校生や大学生たちで、こうしたAさんの指導が嫌になって、さっさと辞めてしまうという。ランチタイムは複数のパート店員がシフトに入っているが、Aさんが勤務する夕方以降はバイト歴半年の大学生2人、バイト歴4年の大学生1人、7年前に採用された3人のフリーターという新陳代謝の悪さだ。新しいバイト店員が入るたびに「どれぐらい続くか」と予測しあっているという。
店長はバイトから正社員になり、転勤でこの店舗に異動してきた。店長はどんなに忙しくても物腰が柔らかく、バイトに注意するときも「●●をしてくれたら嬉しいです」と言うような温厚な人で知られていた。
一方、Aさんは店長が異動する数年前からいた“店一番の主”で、業務上はそつなくこなすため、店長も頼りにしていることは間違いなかった。辞めたバイトのなかには、店長にAさんからのパワハラを訴える人もいたが、Aさんは自分を正当化し、もっともらしい主張をするので、店長も「言い方は厳しいかもしれないが、間違っていることを言っていない。今の子は少しのことですぐに辞める」と誤認してきた。調理部門には契約社員もいないため、Aさんの独壇場だったこともパワハラを産み出す土壌となっていた。
パワハラの定義
職人の世界や師弟関係が重視される世界に限らず、パワハラがたびたび社会問題化するが、パワハラとは何か。
2020年6月1日に改正労働施策総合推進法(パワハラ防止対策義務化)が施行され、厚労省はパワハラの定義を以下の通り定めている。
「職場において行われる(1)優越的な関係を背景とした言動であって、(2)業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、(3)労働者の就業環境が害されるものであり、(1)から(3)までの3つの要素をすべて満たすものをいいます。なお、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しません」
複数の店舗を持つ飲食店では、接客や調理方法に関するマニュアルがある。どこの店でも同じ材料、同じ分量、同じ調理時間、同じ調理方法でお客に提供することが絶対条件だからだ。
主婦のBさんがパートを始めたのは、3カ月前のこと。週に3回、夕方から調理を担当することになった。新人はお皿洗いから始まり、揚げ物やサラダといったサイドメニューを経て、ベテランがメインディッシュを受け持つこととなる。
その飲食店ではサイドメニューだけでも30種類を超える。サラダのドレッシングも複数あり、ドレッシングをかける順番がそれぞれに違っている。材料の保存場所や料理に応じた食器、盛り付け方法など、覚えることは膨大にある。簡単な揚げ物にしても付け合わせの配置も個々に違う。
AさんはBさんに「少しでも早く覚えさせるために」と、「マニュアルをメモしてはいけない、見てもいけない。口述するから覚えろ」と言い、困り果てたBさんが調理場に保存しているレシピをメモしようと早めに行っただけで、「早く来てはいけない」と叱られた。「なぜですか?」と聞こうものなら、「覚えればいいだけ!」と取り付く島もない。
そこでBさんはAさんの目を盗んでメモをつくり、盗み見することにしたが、急いでメモをしているため書き漏らしもある。マニュアルを盗み見して確認していたところをAさんに見つかり、こっぴどく叱られた。「現場には(メモを)ひっくり返す時間もない、わからないの!」と怒鳴られたかと思えば、「メモを見なさい」「きちんとメモを取りなさい」と言う。それまでは従順にしていたBさんだが、「メモを見ていいのですね、本当にいいのですね」と2回確認すると、Aさんは「切れるよ」と怒りながらBさんを追いかけてまで恫喝する。どうやらひとたびスイッチが入ると、感情のコントロールができないタイプのようだ。
こんなこともあった。Aさんはレシピを抱えながら、Bさんに「新メニューの味見をさせてあげる」というので、一切れ食べた。Aさんはその後、レシピをどこかにしまったため、当然メモなどできない。それなのに後日、いきなり「つくれ」という。“味見”がトレーニングだったらしく、「なぜ作れない! トレーニングをなんと思っているの?」とさんざん切れた。
パワハラをする人の特徴
飲食店の運営にとって注文伝票の管理は重要だ。混雑時には一気に何十品の注文が入る。Bさんの店では例えば、一番先の注文が短時間でできるサラダなら、時間がかかる揚げ物からつくっていく決まりだが、Bさんは手順を教えてもらっていなかった。注文伝票の順番通りにつくっていたら「違う」と叱られたが、何が、どう違うのか、まったく説明がない。こんな嫌がらせは数え切れないぐらいあった。やがてBさんはストレスから病気になり、店を辞めることにした。
Bさんは「どれほど無用な時間と労力を費やしたのだろうと悲しくなったことは事実ですが、今後、人と接する際の大きな気づきもあった」と振り返る。
Aさんがいないある日、Bさんにあるバイト店員が声を掛けた。「自分も徹底してやられてきた。日によって言うことが違うし、教えてもらっていないのに、いきなり叱られる。Bさんだけでなく、新人には全員そうなんですよ。相手をとことんやり込めるまで叱るので、彼女が原因で辞めていくんですよ」と慰めた。この店員はそれ以来、陰に隠れてフォローしてくれたという。また、間違いやすい点をいろいろと教えてもくれた。
Aさんの説明は何度聞いても頭に入ってこなかったが、不思議なことにこの店員の説明は砂地に水がしみこむように頭に入り、1回で覚えることができた。Aさんの説明とは何が違ったのか。
ひとつは、伝える音域がまったく違ったのだ。Aさんは金切り声で感情的に話すため、聞きづらい。頭に入れようとしても、ただキンキンしているだけなので、聞くほうは嵐が静まるのをひたすら待つという感じだった。
片やバイト店員は、誰にもよく通る声の持ち主で、要領よく端的に、相手の反応を見ながら話すペースを変化させたので、頭にすっと入る。
こういう事例は高齢者でも起こる。耳の遠いお年寄りが遺言書を作成する際、いくら弁護士が大声で話しかけても反応せず、見かねたアシスタントの問いかけには反応したり、男性の声には反応するが女性には反応しなかったり、若い世代の声には反応しなかったり、その逆だったりということを筆者も何度も経験した。「聞こえないから」と高齢者の耳のそばで大声を出す人がいるが、聞こえない場合は音域を変えてみることをお勧めしたい。
もうひとつのAさんの問題点は、“思い込み”だ。目に入った情報だけで判断し、叱る。Bさんが「違う」といくら言っても、ヒートアップしたAさんを止めることはできなかった。
思い込みは過ちを生み、信頼関係など到底築けない。ひょっとしたら、パワハラをする人にとっては、音域や自分の思い込みなど考えたこともないのかもしれない。人に指導する立場にある人こそ立ち止まって、自身の行動を振り返ってみることが不可欠ではないか。
(文=鬼塚眞子/一般社団法人日本保険ジャーナリスト協会代表、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表)