現在、日本製鉄は、脱炭素の強烈な逆風の中で生き残りをかけた熾烈な戦いを展開している。国内では高炉の休止などを進め、固定費を削減して損益分岐点の引き下げに奔走している。一方、海外ではインドなど中長期的に鋼材需要の増加が期待できる、アジア新興国地域において一貫製鉄体制が強化されている。
もう一つ注目されるのは、同社が水素を用いた製鉄技術の確立に取り組んでいることだ。今のところ、水素製造のコスト引き下げなど課題は多いものの、日本製鉄が水素を使った製鉄技術を世界に先駆けて実現できれば、同社は脱炭素社会における鉄鋼分野のリーディングカンパニーとしての地位を確立できるだろう。同社は脱炭素に対応した新しい製鉄技術の開発や、水素の製造など先端分野での取り組みで生き残りをかけた戦いを展開している。
日本製鉄が直面する脱炭素の強烈な逆風
脱炭素の進展によって、日本製鉄は排出する二酸化炭素などの温室効果ガスの量を減らさなければならない。脱炭素は日本製鉄にとって死活問題だ。現在の高炉型の製鉄プロセスでは、大量の二酸化炭素が発生するからだ。高炉製鉄の場合、石炭を蒸し焼きにしたコークスを炉に投入することによって銑鉄(せんてつ)と呼ばれる鉄の原料を作る。その結果、大量の二酸化炭素が排出される。
国立環境研究所によると2019年度の日本全体の二酸化炭素の排出量のうち約14%が鉄鋼業によるものだった(部門別排出量の35%が産業部門、鉄鋼業は産業部門が排出する二酸化炭素の40%を占める)。地球温暖化の深刻化による気候変動の激化などに対応するために、脱炭素は加速する。それは日本製鉄にとって非常に強烈な逆風であり、同社は生き残りをかけて温室効果ガスの排出を減らさなければならない。
脱炭素は日本の産業構造にも強い逆風となる恐れが高まっている。日本製鉄は国内の自動車メーカーと長期の取引関係を強化し、歩調を合わせて超ハイテン冷間成形や電磁鋼板などの製造技術に磨きをかけた。特に、1990年代後半に日本の自動メーカーがハイブリッド車(HV)を生み出し、世界的なヒットを実現したことは、日本製鉄の収益獲得を支えた。
しかし、欧州を中心に世界的に電気自動車(EV)シフトが加速する一方で、日本の自動車産業はHVの製造技術を守ろうとして対応が遅れた。その状況下、日本製鉄経営陣は自力で生き残りを目指す覚悟を強めているように見える。そう考える理由として、同社が最重要顧客である自動車メーカー向け鋼材の値上げに踏み切ったことは大きい。新型コロナウイルス感染再拡大による供給制約の深刻化などに加えて、脱炭素が進む中で過去の発想に固執していると生き残りが難しくなるという日本製鉄経営陣の危機感は非常に強いとみられる。
加速するアジア新興国事業の運営体制強化
生き残りをかけて日本製鉄は急速にアジア新興国地域での事業運営体制を強化している。その背景には2つの要因が考えられる。一点目が、経済成長期待の相対的な高さだ。中長期的にインドやタイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどではインフラ投資や不動産開発が増加し、汎用型の鋼材需要が増えるだろう。そうしたビジネスチャンスを手に入れるためにタイやインドで日本製鉄は買収戦略を実施し、電炉を用いた一貫製鉄体制を強化している。
なお、電炉法は鉄スクラップを電気で熱して溶解して鋼材を生産する方法をいう。高炉法に比べ二酸化炭素の排出量は4分の1程度だが、不純物の除去が容易ではないといわれている。また、日本製鉄が敵対的TOBを実施してワイヤーロープメーカーである東京製綱を買収したのも、東南アジアなどでの汎用鋼材需要をより効率的に獲得するためだろう。
二点目に、新型コロナウイルスの感染再拡大によって世界のサプライチェーンにおけるアジア新興国地域の重要性が急激に高まっていることも大きい。生産能力の強靭化に向けてインドやベトナムなどへの直接投資を積み増す大手企業は増えている。インドネシアは豊富な鉱山資源をバックに中国や韓国などのEVやバッテリーメーカーを誘致し、経済成長を加速させようとしているようだ。そうした変化を背景に、アジア新興国地域では汎用型に加え、超ハイテン鋼板など日本製鉄が競争力を発揮してきた高付加価値製品の需要が増える可能性が高い。
日本製鉄は脱炭素を背景とする新興国でのEV生産の増加というビジネスチャンスを手に入れるために、より迅速に海外事業を強化しなければならない。海外事業を強化するために経営陣は、国内で稼働している高炉の休止や既存事業からの撤退など、これまで以上の集中力をもって構造改革を加速させなければならないだろう。経営陣が日本の商習慣に縛られることなく、海外企業を上回るスピード感をもって構造改革を進めることができるか否かが注目される。
日本製鉄が取り組む水素型の製鉄技術の確立
やや長めの目線で考えると、日本製鉄は水素等を用いた製鉄技術を確立しなければならないだろう。水素を用いた製鉄技術は複数ある。現在、日本製鉄はコークス生産時に排出されるメタンから水素を取り出して高炉に投入する技術と、二酸化炭素の回収、有効利用、貯留(CCUSと呼ばれる)の技術を既存の製鉄プロセスに結合しようとしている。さらに、日本製鉄は石炭の代わりに水素で鉄鉱石を還元して鉄を生産するという非常にハードルの高いインベーション実現も目指している。日本製鉄は電炉を用いた不純物が少ない高付加価値型鋼材の製造技術の向上にも取り組んでいる。
今後の展開として、低コストでカーボンフリーな水素の調達がどうなるかは、日本製鉄の事業運営体制に無視できない影響を与える。その点で注目したいのが、徐々にではあるものの国内産業界で再生可能エネルギーの利用増加を目指す企業が増えていることだ。特に、日本にとって再生可能エネルギー由来の電力増加を目指す切り札である洋上風力発電分野では、大手総合商社が国内外の企業とコンソーシアムを組んで事業運営体制を強化している。
日本製鉄にとってそれは水素製造コストを低減させ、よりクリーンな製鉄技術を確立する一助になり得る。仮に、日本製鉄が他企業と共に洋上風力発電など再生可能エネルギー事業への取り組みを強化して水素を用いたエコシステムを創造できれば、同社が脱炭素に対応しつつ汎用型から高付加価値型まで多様な鉄鋼製品を供給する力は高まるだろう。そうした展開が現実のものとなれば、同社の国際競争力は高まり自動車産業が大黒柱となって支えてきた日本の産業構造は大きく変わる可能性がある。
世界全体で脱炭素への取り組みは強化されるだろう。そのなかで日本製鉄は、あきらめることなく新しい製造技術の確立を目指して戦いへの集中力を高めなければならない。同社経営陣が得られた収益や人的資源を水素製鉄技法の確立など先端分野での取り組み強化にダイナミックに再配分することを期待したい。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)