今月、スイス・モントレーで行われた若手バレエダンサーの登竜門、ローザンヌ国際バレエコンクール2022において、日本人の田中月乃さんが見事に第2位だけでなく、ベスト・スイス賞をダブル受賞されました。テレビでも盛んに報道されたので、ご覧になった方も多いのではないかと思います。彼女が2月5日の決勝ラウンドで踊ったのは、バレエ「ジゼル」からのバリエーションです。豊かな表情と盤石なテクニックで可憐なジゼルを踊ったと話題になっています。
ニュース映像で田中さんが躍っている映像を観た時、このバレエを子供の頃から何度も見て、その音楽を聴かされ続けたことを思い出しました。というのは、僕の姉はバレリーナで、義兄も、姪もバレエダンサーのバレエ一家なのです。僕の両親はバレエや音楽とまったく関係ないのですが、そんな影響もあり、自宅には子供の頃からチャイコフスキーの「白鳥の湖」などのバレエ音楽がずっと流れており、オーケストラ・サウンドにも親しみを覚え、高校に入学する前くらいから指揮者を目指したのです。
しかし、この音楽を聞いただけで「ジゼルだ」とわかる指揮者は、バレエの専門指揮者を除けば、あまりいないのではないかと思います。“バレエの専門指揮者”とは、バレエ公演の際にオーケストラを指揮する指揮者のことで、大変高度なスペシャリストです。
バレエ指揮とオペラ指揮はまったく別物
僕はバレエの指揮をしたことはありません。もちろん、両方ともにこなす指揮者も多いのですが、バレエ指揮とオペラ指揮の違いは歴然としています。
オペラの場合は、指揮者のもとでオーケストラが歌手に合わせて伴奏します。一方のバレエも、バレエダンサーの踊りの伴奏をします。両方ともに指揮者を見ながら伴奏するわけで、オーケストラにとっては同じではないかと思いきや、まったく違うのです。何が違うかといえば、オペラは歌手が歌う、つまり音を発しているので、オーケストラはそれを聴きながら演奏を続けることができます。一般的なオペラならば、もし指揮者が急に倒れたとしても、歌手の歌声に合わせていれば、オーケストラは演奏を続けることができるでしょう。
一方、バレエでは指揮者だけが舞台上のバレエダンサーの動きを目で追っています。仮にダンサーがリハーサルと違う動きをしたり、急に踊りのテンポを変えたとしても、その動きをなぞるように指揮をします。バレエ指揮者は、ダンサーがリハーサル中に一度も見せることがなかった滞空時間が長くかかる高いジャンプを、本番になって急に跳んだとしても、着地点をしっかりと予測しながら、オーケストラの音をしっかりと合わせていくといった特殊な能力を必要とします。
バレエの場合は舞台上からオーケストラピットには何も聞こえてこないので、オーケストラが頼るのは指揮者だけとなり、もし急に指揮者が指揮を止めてしまったとしたら、舞台上でバレリーナが可憐に踊り続けていたとしても、オーケストラは演奏を止めてしまうでしょう。
オーケストラの立場からすればバレエの公演では、指揮者がリハーサルとはまったく違うテンポで指揮をしたり、急に遅くなったり速くなったり、音楽的におかしかったとしても、指揮についていくことになります。とにかく指揮に従うしか方法がないのです。
バレエを鑑賞していると、時にはダンサーに合わせるために、チャイコフスキーなどの素晴らしい音楽がめちゃくちゃになることもあります。逆に、不思議なことに素晴らしいダンサーが踊っている時には、演奏も良くなることが多いのです。特に世界的なダンサーだと、むしろオーケストラを盛り上げているようです。オーケストラ楽員からダンサーの動きなど何ひとつ見えていないだけに、不思議です。
オペラとバレエの音楽の違い
「オペラとバレエの音楽は、どう違いますか?」
これもよく聞かれる質問です。どちらもオーケストラが演奏しますし、チャイコフスキーやプロコフィエフなどのようなオペラの傑作のみならず、バレエの大名作を作曲した作曲家はたくさんいます。では何が違うのでしょうか。
まずオペラの場合は、歌手の歌を引き立てるような音楽が基本ですが、バレエの場合は、リズムがはっきりした踊りの音楽が中心となります。
そして、何よりも特徴的なのは題材です。もっといえば、オペラには言葉がありバレエには無いことが重要な鍵となります。
冒頭で、田中月乃さんがローザンヌ・バレエ・コンクールの決勝でバレエ「ジゼル」を踊り第2位を受賞されたと紹介しました。この「ジゼル」はアドルフ・アダンが作曲し1841年にフランスで初演された、今もなお人気トップ10に入るバレエの中のバレエですが、話の内容は日本風にいえば「怪談」です。
男に裏切られたジゼルは、精神が錯乱して死んでしまって精霊の仲間になります。ところがこの精霊の集団は、女性を裏切った男を引き込んで、死ぬまで踊らせるという恐ろしい連中です。踊りに踊らされて、くたくたになった男たちは、あわれにも最後は死の沼に突き落とされるのですが、ジゼルを裏切った男は、ジゼルに許してもらおうと彼女の墓場にやってきます。そこが最後のシーンになります。夜の墓場で、死んだジゼルが美しく踊るのです。
たとえば、これがオペラだった場合、「ジゼルを裏切ったから、死ぬまで踊り続けてもらうよ!」と精霊の役が歌い、ジゼルも「どうして裏切ったの?恨みます」などと返せば、本当に怪談になってしまいます。バレエの美しさなど吹っ飛んでしまうに違いありませんし、むしろ滑稽になってしまうでしょう。無言だからこそ、ジゼルの悲しみが切なさという美となって、観客のイマジネーションを膨らますのがバレエという芸術なのです。
考えてみたら、チャイコフスキーの大傑作『白鳥の湖』も、魔法にかけられて白鳥に姿を変えられた美しい王女が、夜になると人間の姿に戻るという話です。もし、歌詞があって、「昼は白鳥だけど、夜に人間に戻るのよ~~」などと歌いながら白鳥から人間に変身されたら、急に幼稚になり、大人も感動できるバレエから子供向けのステージに替わってしまいます。
チャイコフスキー『眠りの森の美女』『くるみ割り人形』、プロコフィエフ『シンデレラ』、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』のような、もともとは子供向けの童話を、大人のイマジネーションやロマンティシズムを掻き立てる舞台芸術にすることができるのがバレエの強みであり、言葉がないからこそ、童話に代表されるようなメルヘンや、若い男女の純粋で無垢な愛のようなテーマを取り上げることができるのです。
反対にオペラの場合は、歌手に歌詞があることで一言一言が物語を決定していきます。オペラが生身の人間の葛藤や愛憎、時には民族問題や政治、歴史にも鋭く切り込めるのは、そういう理由です。
イタリアの代表的オペラ作曲家ジュゼッペ・ヴェルディは、『椿姫』によってフランス社交界の明と暗、そして身分制度を鋭く描き、ハンディキャップを持って生まれ道化となった男の物語『リゴレット』によって人間の不条理を表現し、『シチリア島の夕べの祈り』によってシチリアの独立運動を描きました。ベートーヴェンも唯一のオペラ『フィデリオ』により“自由・博愛・平等”という、当時のヨーロッパの政治テーマを表すことができたのは、歌詞があったからなのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)