
タクシー業界では「大日本帝国」と呼ばれる大手4社が有名だ。東京の大和自動車交通、日本交通、帝都自動車交通、国際自動車の4社の頭文字をとって、そう呼ばれている。「大日本帝国」を上回り業界最大の保有台数を持つのが、福岡県北九州市に本社を置く第一交通産業(福岡証券取引所に単独上場)だ。2021年3月期末時点でグループの保有台数は8787台を数える。
第一交通は6月の株主総会を機に代表取締役創業者会長の黒土始氏(100)が退任する。朝日新聞西部版(4月7日付朝刊)によると、黒土氏は「みなさんも100歳以上を目標にしてください」と呼びかけた。2001年から会長職に就いていた。けがのために15年にいったん代表権を返上したが、17年に復帰した。
今年1月、100歳を迎えた際には「もう100歳になったか、えらい人生短いなと思った」と語っていた。今後は相談役となるが、一般財団法人を設立し、中小企業を支援する。第一交通は黒土氏に対し15億9400万円の特別功労金を支給する。特別功労金の額は在籍年数とその期間の役員報酬から決められた。
これに伴い、22年3月期の連結決算の業績予想を下方修正した。特別功労金を特別損失に計上するほか、燃料価格の高騰が響き、最終損益は8億円の赤字になる。従来予想は15億円の黒字としていた。
全国のタクシー会社を買収して勢力を拡大
タクシー5台からスタートし、いまやグループ会社数180社、同従業員1万4000人、保有台数8787台。最後発のタクシー会社が、いかにして日本一の保有台数を持つまでになったのか。ふくおかフィナンシャルグループが発行する「FFG調査月報」(20年1月号)に、黒土氏と福岡銀行頭取の柴戸隆成氏の新春特別対談が掲載されている。それを基に足跡をたどる。
黒土氏は1922年(大正11)年、大分県下毛郡尾紀村(現・中津市)で生まれた。41年、大分大学経済学部の前身である大分高等商業学校に進学。42年、召集令状により中国の天津に配属された。戦後、1年2カ月後の抑留生活を経て帰国。物価統制の規制外であった、たくあんの販売を始めた。セメントやチリ紙、芋飴、砂糖の卸売り、運送業、トラックの販売にも手を広げた。朝鮮戦争の特需もあって事業は順調に伸びたが、エネルギー革命で石炭産業が傾いたことで九州経済は失速。事業を閉じることにしたが、東急グループを率いていた五島慶太氏からの助言もあり、現金が入る商売をすることにした。それがタクシー事業だった。当時の小倉市(現・北九州市小倉北区)に小さな社屋を構え、5台の車を購入し、第一タクシーを創業した。1960年のことだ。タクシー会社を経営しているのに、今日まで本人は運転免許は持っていないという。