今年度から母校の音楽大学で教鞭をとっていますが、当初は30年以上前の僕の学生時代と現在の学生では、かなり様子が違うのではないかと思っていました。とはいえ、考えてみれば、実際に勉強するのはモーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキーなど同じ作曲家ですし、演奏方法も若干の流行があるとはいえ同じです。また、楽器を習得するために寝食を忘れて練習を積み重ねることも変わりなく、後輩の音楽学生の雰囲気は、拍子抜けするくらい以前と同じでした。
そのなかでも大きく異なるのは、楽譜をタブレット端末に入れ込んでいる学生が多いことでしょう。かつては、毎日たくさんの楽譜を持って満員電車に揺られながら大学に到着し、その後も、楽譜でパンパンに膨らんだ鞄を持って練習室を探したり、一般授業のために校舎の中を行ったり来たりしていたわけですから、今の学生はずいぶんと楽になったと思います。
まだ少人数ではありますが、レッスンでも使用している学生もいるそうです。読者の皆さんは、「なぜ全員がタブレット端末でレッスンを受けないのか?」と思うかもしれませんが、紙の楽譜にはタブレット端末にはない良さもありますし、教師にもなじみがないという理由があると思います。とはいえ、こう言っている僕が古いのかもしれません。
他方、海外では、イギリスの音楽大学を例に取ると、大多数の学生がタブレット端末を持ち込んでレッスンを受けているそうで、今後、日本でも増えてくるかと思います。ちなみに、タブレット端末の良いところは、多くの楽譜を持ち運びしなくていいだけでなく、実際に演奏するにあたり、楽譜のページをめくるのが簡単なことがあります。
例えば、ピアニストなどは両手を使って演奏するので、楽譜をめくるのが大きな問題となります。そこで、コンサートではページをめくる係をお願いしたりするのですが、それもタイミングが合う人ばかりではなく、練習の際は自分でめくることになるので、その時は楽譜をめくる左手は弾けないことになります。それがタブレット端末であれば画面をタッチするだけなので、かなり時間短縮できます。しかも、追加アクセサリーを購入すれば、楽譜をめくる足ペダルやリモコンもあるので、これまでの演奏家の苦労を一挙に解決することになりました。
一方、指揮者用の楽譜は情報量が多いのでタブレット端末に入れると音符が細かくなって見づらいうえ、指揮棒を持っていない左手は空いているので、譜面をめくる問題もなく、僕の生徒も分厚い楽譜を持ち歩いています。とはいえ、そんなアナログな状況も、今後は変化していくのではないかとも思います。
絶対音感があっても歯が立たない大きな壁
そんな現在の音大生ですが、まったく変わらないのは、毎週あるレッスンために毎日毎日、必死で練習をしている姿です。
音楽のレッスンは完全にマンツーマンなので、曲のことを細部まですべて把握している大師匠の前で、1週間前に初めて与えられた課題曲を演奏するのは、緊張どころではなく、仮にとても上手く演奏できたとしても、「じゃあ、翌週はこの曲を弾いてね」と、ますます難しい新しい曲を与えられるのです。
万一、レッスン直前の数日間、体調が悪くて寝込んで練習できなかったとしても、師匠はまったくお構いなしで、「全然練習してきてないじゃない。あなたどうしたの? 来月の試験に間に合わないわよ」と、雷が落ちることになります。逆に、寝る間も惜しんで練習してきたとしても、出来が悪ければ、同じく雷が落ちるわけで、学生が真っ青になってレッスン室の前で自分の順番を待っている光景も、僕が学生の頃とまったく同じです。僕もそんな彼らを見ていると30年前のことを思い出し、胃が痛くなる思いです。
音楽大学では、もちろん楽器だけ練習していればいいわけではなく、語学や一般教養の授業もあります。音楽大学とはいえ、文部科学省としては決められたカリキュラムをこなさなければ大学としては認められないので、「さあ、音楽大学に入学できた。どっぷりと音楽をやるぞ」と意気込む新入生が最初にすることは、数学や英語などのクラス決めとなります。それでも、一般教養科目の内容はそれほど難しくありません。その代わりに、立ちはだかる“大難関”があります。
それは、聴音・ソルフェージュです。僕の母校は、日本の中でもかなり難しいことで有名ではありますが、幼少の頃から絶対音感を身につけて意気揚々とやってきたとしても、それくらいでは歯が立たない大きな壁なのです。
まずは、メロディー聴音。教師がピアノで弾く新しいメロディーを楽譜に書き取ります。弾いてくれるのは3回程度で、しかも学生が聴き取った音符を必死になって鉛筆で五線紙に書き込んでいる速度などお構いなし。教師が弾いている間に全部を書ききれるわけはなく、鉛筆を動かしながら書き切れないメロディーを頭の中に記憶して、演奏後に思い出しながら書くことになります。
教師は弾く前にテンポを与えてくれるのですが、そのテンポを頭の中で意識しながら、メロディーを聴き取り、同時に鉛筆を動かすため、簡単にテンポを見失ってしまい、何がなんだかわからなくなって、3回しか弾いてくれないうちの大事な1回がパーになることもあります。そこで、左手は指で机を叩きながら自分でテンポを取って、右手は鉛筆でメロディーを書き取るテクニックが欠かせません。
卒業までには難関なカリキュラムが立ちはだかる
次は、和声聴音です。4つの音でできた和音を正確に聴き取ります。これも教師は3回しか弾いてくれず、シャープやフラットが付いた音を「じゃーん・じゃーん」と弾いて、「さあ、書き取りなさい」といった具合なのです。教師は、最低でも14個の和声を課題として弾くので、合計56個からそれ以上の音符を必死になって書き取っていきますが、じっくり聴いていると、音自体が出す倍音まで聞こえてきたりして大混乱となります。もちろん、倍音を書いてしまうと不正解です。
鉛筆だけでなく、消しゴムも大活躍です。とはいえ、間違いを消している最中に「じゃあ、最後の回です」と、なんの躊躇もなく弾き始めたりする教師もいます。特に試験では、そんな意地悪な教師が入ってきた際にはガッカリしたりするわけですが、4年生ともなれば死活問題です。
僕の大学では、メロディー聴音、和声聴音、そして3つ目の課題のソルフェージュと、最短2年間で終えることができるとはいえ、すべてが一定レベルの試験に合格しないと大学を卒業させてくれなかったのです。ほかは優秀なのに和音聴音だけが苦手で、4年生の最後の試験でやっと合格し、晴れて卒業といったことも、よくある光景でした。
試験に落ちれば、半年後の試験まで、下の学年の学生と一緒に授業を受けることになります。でも、上の学年の先輩も頭をかきながら隣の机で鉛筆を動かしていたりしているのです。
さて、3つ目のソルフェージュが大きな関門になる生徒もいます。ソルフェージュとは、初めて与えられた楽譜を正確に歌唱する課題です。メロディー聴音や和声楽譜のように、音を聴いて書き取るのではなく、歌うことによって、しっかりと楽譜を読めているのか確認するための課題ですが、歌うだけでなく、楽譜の下に書かれているリズムを同時に手拍子しなくてはならないなど、もちろん簡単ではありません。
しかも、声楽科や呼吸を使う管楽器の学生とは違い、ヴァイオリンやピアノの学生のように、声を出して歌うことがない学生にとっては、まずは目の前にいる試験官の前で声を出して歌うだけでも大変です。なかには、絶対音感も完璧で、頭に中には正確に音が浮かんでいるにもかかわらず、その音程を正確に歌えない“音痴”の学生もいて、4年間を目一杯使って、なんとか卒業にこぎ着けるのでした。
30年前と現在の音大、決定的に違う点
ただ、現在の大学が30年前と大きく違うのは、パワハラやセクハラのようなハラスメントに対する意識でしょう。僕も新学期の前には、大学から配布された冊子「ハラスメントのないキャンパスにするために(桐朋学園音楽部門)」を読み込むように指導を受けました。今の時代は「男のくせに、そんなに根性がないのならヴァイオリンを辞めてしまえ!」などと発言する教師はいませんし、食事会で教師が「僕の横に座りなさい」と言えば、別に深い意味も無くても問題になります。教師が気楽に誘っても、学生にとっては強要と感じるかもしれないからです。
僕が教えている指揮レッスンでも、時には生徒の手を取って、正しい指揮の動きを教えたりすることがあるのですが、女子学生を教える場合は、どうしても手を取らなくてはならない場合にのみ、「ちょっと、手を取って動きを教えていいかな?」と断ってから行うことにしています。こういった意識は、素晴らしい変化だと思っています。
(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)