値上げが大きな社会問題になろうとしている昨今、改めて価格にまつわる諸々について考えてみたい。
先日、知り合いの研究室を訪問する機会があり、電車に乗り、最寄り駅からはバスに乗った。バスで神奈川郊外を走ること30分、ゆったりとして快適な時間だった。改めてグーグルマップで確認すると、実に28停留所の区間を乗っていた。それにもかかわらず、料金は220円。バスの運賃ではよくあることだが、終点まで一律の料金だった。終点近くまで乗車したため、少し得をしたような気分になったが、逆に1つめや2つめの停留所で降車の場合、利用者は損をしたような気分になるのではないか。実際にそうした苦情がバス会社に多く寄せられているのではないだろうか。
やはり、こうした苦情(疑問)は多く寄せられているようで、例えば、横浜市HPの“バス交通に関するよくある質問”では、「近距離でも長距離でも路線バスの運賃が均一なのはなぜですか」が掲載されていた。
それに対する回答は「路線バスの運賃は、都市部では利用者が多く、運賃の収受を簡便にするため、均一の運賃が採用されています。なお、利用者の負担の公平性を図ることを目的に、利用者の乗車した距離に応じて料金が変動する“対キロ区間制”が原則となっています」となっている。つまり、原則は当然のことながら距離に応じた料金でなければならないが、スピード重視で均一の運賃を採用しているわけだ。結局は利用者がどちらを強く支持するかであり、公平性よりもスピードを重視するほうがマジョリティということだろう。
価格の非合理性
現代の日本社会においては、あらゆることが合理的にきっちり決まっているように思われるが、非合理なことも数多く、価格はその最たるものかもしれない。例えば、我々がなんら気にせず受け入れている「同じ商品にもかかわらず、店によって価格が異なる」ということも、改めて考えればおかしな話ではある。さらに、スーパーの特売などにおいては、同じ商品でも容量の少ないほうが多いほうよりも価格が高いといった摩訶不思議なことすら日常的に生じている。
「まいばすけっと」はイオンが首都圏で展開するミニスーパーであり、筆者はよく利用している。ミニスーパーというだけあって、価格はコンビニよりも圧倒的に安い。よって、学生の主たる購買の場となってもおかしくないはずだが、実際にはそうはなっていないようだ。
以前、学生に「例えば、コンビニとまいばすけっとが隣接していて、飲み物を買う際、まいばすけっとのほうが3割安い場合、どちらに行くか?」と質問した際、9割の学生が「コンビニ」と答えた。「なぜ?」と尋ねても、「なんとなく」といった調子で明快な答えはなかった。恐らく、この「なんとなく」の中には、習慣的購買、ブランド、リスク回避などが含まれているのだろうが、それにしても普段「お金が厳しい」と言っている学生たちが、わざわざ高価格を選択している状況は興味深い。
ラーメン(外食の中華そば)の全国平均小売価格620円という数字を見て、「確かにそういう感じかな」と妙に納得してしまった。
こうしたなか、超有名店である神奈川・湯河原の「飯田商店」は、もともと1300円だった価格(この価格自体かなりの高額だが)をさらに1600円に値上げした。みなさん、この値上げの理由がわかるだろうか。原材料費や人件費の高騰などが一般的だが、店主である飯田氏は「ラーメン店の未来のために、価値観を上げたい」と語っており、大変感心してしまった。
確かに、同じく小麦を主原料とするスパゲティ(外食)の全国平均小売価格749円となっており、ラーメンの価格相場には上昇する余地があるのかもしれない。ちなみに、うどんは617円となっている。
いずれにせよ、飯田商店において、こうした高価格を設定できる理由は、他店とは明確に差別化された商品の価値をターゲット客にしっかりと認めさせているからであり、最近よく耳にする大手食品メーカーなどの「原料高による、やむを得ない、苦渋の、ギリギリの値上げ」とは対照的である。
もちろん、「安くて良いもの」は顧客にとって耳あたりの良いキーワードであり、多くの企業に注力してほしいポイントではあるものの、自らが生み出した価値に対して自信を持って正当な価格をつける作り手が増えていくことも、閉塞感漂う日本の実業界において重要であろう。
“マーケティングの神様”とも呼ばれる米経営学者フィリップ・コトラーが指摘した「価格とは価値づけ」という言葉の意味を、多くの経営者は自らの企業の実態と照らし合わせ、熟慮すべきではないだろうか。
(文=大﨑孝徳/神奈川大学経営学部国際経営学科教授)