日本独特のカルチャーである「ヴィジュアル系」。1980~90年代に黄金期を迎え、当時ハマっていたというミドル世代は多いはずだ。しかし、2000年代に入るとブームは「終わった」ものとされ、メジャーな音楽シーンで話題になることは少なくなった。ヴィジュアル系バンドが黄金期を迎え、そして衰退した理由は何か。『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』(星海社新書)の著者で音楽ライターの冬将軍氏に聞いた。
ヴィジュアル系はロックバンドの究極形態
個性的なメイクや派手な衣装、そして耽美な歌詞や激しい音楽性など、独自の世界観を構築しているヴィジュアル系バンド。日本で生まれて日本で進化した独特のカルチャーであり、その最盛期は80~90年代だといわれている。一般的に、X JAPANやBUCK-TICK、LUNA SEAらのバンドがヴィジュアル系最盛期を支えたとされ、彼らに心酔していたミドル世代も多いはずだ。
「ブームの頃は、新宿のアルタビジョンにヴィジュアル系バンドのMV発表や告知映像が放映され、その数分ほどの映像を観るために何千人ものファンが集結して熱狂していました。ブーム真っ只中の1998年にメジャーデビューし、2006年に解散したPIERROTは、2014年にあえてアルタビジョンを使って復活ライブの告知をしました。7000人ものファンが集まり、悲鳴のような歓声と歓喜の涙に包まれた、まさに当時を想起させる光景が広がっていたのも印象的でした」(冬将軍氏)
80年代から続いていたバンドブームもあり、当時は今よりもロックバンドに対する若者の注目度や熱量も高かったのだろう。そもそも「ヴィジュアル系」の定義はかなり曖昧だ。この点は往年のファンや評論家の間でも見解が分かれるところだが、冬将軍氏はこう話す。
「『ヴィジュアル系』とは、音楽のジャンルを指す言葉ではありません。80年代から、派手な格好でメイクしているバンドのシーンが同時代的に発生し、それらを総称して誰かが『ヴィジュアル系』と呼び始めたのです。多くのバンドは自分たちが追求したい美学をサウンドだけでなく、髪型や衣装、ときにはメイクなどで視覚的にも表現しました。それらすべての要素にこだわるヴィジュアル系は、ロックバンドという総合芸術における究極形態だと思います」(同)
音楽のジャンルではないため、同じヴィジュアル系バンドといえどもビートロックやゴシックロック、ヘヴィメタルなど、曲調やスタイルはさまざまなのだ。
「とはいえ、いわゆるヴィジュアル系っぽい音楽というジャンルがあることは間違いありません。その要素は、①耽美、退廃美の世界観、②刹那的な歌詞、③慟哭性のあるマイナーメロディ(泣きメロ)、④緩急のついたドラマチックな楽曲展開、⑤ポップならずともキャッチー。この5つだと考えます」(同)
冬将軍氏によると、これらの要素を備え、かつ後発のヴィジュアル系バンドに多大な影響を与えた4曲(4グループ)は、BOOWY「Marionette」、BUCK-TICK「悪の華」、LUNA SEA「ROSIER」、hide「ピンク スパイダー」だという。
音楽番組『Break Out』の功罪
ただ、「ヴィジュアル系というジャンル分けは後付けであり結果論」(同)というように、黎明期のファンの間にはヴィジュアル系という言葉に違和感を抱いていた人も多かった。
「自分が好きだったバンドが『ヴィジュアル系』と呼ばれてひとくくりにされていくことに、私もはじめは違和感がありました。X JAPANやBUCK-TICKは『俺たちはヴィジュアル系』とは一言も言っていませんからね。実際、ヴィジュアル系という言葉が確立し、そこにイロモノというニュアンスが加わったことでシーンから離れたファンは多い。X JAPANやBUCK-TICK、LUNA SEAの人気が出てきたあたりまでは聴いているけど、その後のヴィジュアル系バンドは追っていないという人もけっこういます」(同)
ヴィジュアル系という言葉の明確な確立時期は不明だが、1996年10月に放送を開始した音楽番組『Break Out』(テレビ朝日系)の影響は良くも悪くも大きかったという。番組ではSHAZNA、La’cryma Christi、FANATIC CRISIS、MALICE MIZERを「ヴィジュアル系四天王」と位置づけ、大プッシュ。そのおかげでヴィジュアル系バンドの存在はお茶の間にまで浸透し、新規ファン創出の呼び水となったが、彼らと“古参”との間には大きな溝ができてしまったという。
「『ヴィジュアル系』という言葉自体に嫌悪感を示していた黎明期世代のファンは、ヴィジュアル系バンドをいちブームに乗せたようなノリの番組構成に、あまりいい印象は持っていませんでした。『Break Out』以降のファンは生まれながらにヴィジュアル系が存在していた世代なので、あらゆる面で考え方が違う。『Break Out』以前以降の世代で議論になることはよくあります」(同)
しかし、番組をきっかけにD-SHADEやJanne Da Arcらが人気を獲得するなど、ヴィジュアル系シーンの隆盛に大きく寄与したことは間違いない。同時期には黒夢、GLAY、L’Arc~en~Cielなどのバンドがブレイクして音楽シーンを席巻。まさにヴィジュアル系黄金期ともいえる時代だったという。
冬の時代から世界の「Visual kei」へ
ヴィジュアル系ブームは2000年代に入ると急速に終息し、冬の時代を迎える。その理由について、冬将軍氏は次のように語る。
「ブームの終息には複合的な要因がありますが、やはり商業化が進み、シーン全体がバブルのように膨れていたので、どこかで弾けることは必然でした。もともとみんな音楽が好きで、美学を追求した結果としてヴィジュアル系になっていたはずなのに、形から入るというか、ヴィジュアル系をやるために音楽を始めるという若者も少なくなかった。そうやってヴィジュアル系は次第に形骸化していき、同時に“音楽に自信がないからメイクをしているのでは?”という偏見も増えていきました。そして、ヴィジュアル系は蔑称と捉えられるようにもなっていった。そうした外からのマイナスイメージもシーンの衰退を招いたのではないかと。また、1997年のX JAPAN解散、1998年のhideの死去など、黎明期を支えた旗艦バンドやメンバーがシーンから去ったことも大きい。そして、2000年のLUNA SEA終幕がブーム終息のトドメになったんじゃないかと思います」
この頃は、音楽関係者の間でもヴィジュアル系好きを公言するのは憚られる雰囲気があり、楽屋でこっそり話すほどだったという。そして、ヴィジュアル系ブームに取って代わった青春パンクやメロコア系バンドはTシャツや短パンというラフなファッションが象徴的で、着飾ることが美学だったヴィジュアル系とは真逆の方向性といえた。
「ただ、その後の2003年頃から、ネオ・ヴィジュアル系という新たな潮流がありました。ネオ・ヴィジュアル系はアイドル性の高いバンドと昭和レトロやエログロを喚起させるアングラ感に振り切るバンドが目立ち、前者ではアンティック-珈琲店-、彩冷える(アヤビエ)らが有名で、後者ではムック(現・MUCC)、メリー、蜉蝣が御三家と呼ばれました。ちなみに、このようなアングラなカルチャーがヴィジュアル系にも流れたのは、1998年から活動している椎名林檎の影響も大きい。彼女の文学的な日本語詞と昭和歌謡テイストは、ヴィジュアル系の耽美な世界観と親和性がありました」(同)
その後、ヴィジュアル系バンドの楽曲がアニメ主題歌に起用されることが増え、ジャパニメーションブームと共に海外でも認知されていく。また、海外のフェスにヴィジュアル系バンドが参加したり、D’ERLANGER、LUNA SEA、X JAPANが復活するなど、シーンは再び盛り上がりを見せていったという。そして現在、厳しい冬の時代を過ごしたヴィジュアル系は、今や世界の「Visual kei」として開花している。
「特にDIR EN GREYは海外で高い人気を誇り、ヴィジュアル系というカルチャーだけでなく、日本語歌詞を世界に通用させたという点で、音楽史においても欠かせない存在です。あの独特で痛切な日本語詞が海外ライブで大合唱されています。ヴィジュアル系は音楽のジャンルではないため、あらゆるスタイルのバンドがいます。おもしろいことをやっているバンドは多いし、可能性は無限大です。ぜひ興味を持ってほしいですね」(同)
ヴィジュアル系はこだわりも強いが、その根本にあるのは自由な表現だ。その美学は時代が過ぎても変わらず、今もさまざまなジャンルに影響を与えている。
『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』 ヴィジュアル系とは音楽ジャンルを指す言葉ではない! 日本のロックシーンは「ヴィジュアル系」を軸に発展してきた、と言い切ってしまっても大袈裟ではない。本書では90年代にヴィジュアル系がどう誕生して、多くの人になぜ受け入れられ、なぜ世界がうらやむほどの「ジャパンカルチャー」となったのか、その独自の発展をバンドの世界に留まらず、ファッション、漫画などさまざまな分野を通して辿っていく。さあ、その深淵の闇へ、共に堕ちていこう!