昨年10月期の連続テレビドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)で、原作者の意向に反し何度もプロットや脚本が改変されていたとされる問題。過去にフジテレビ製作の映画『海猿』(2004年公開/配給:東宝)で、制作サイドが原作者に脚本を1度も見せず確認をさせないまま放映に至っていたことがわかった。原作者で漫画家の佐藤秀峰氏は今月2日、「note」上に『死ぬほど嫌でした』と題する記事を投稿。
<漫画家は通常、出版社との間に著作権管理委託契約というものを締結しています。出版社は作品の運用を独占的に委託されているという論理で動いていました。契約書には都度都度、漫画家に報告し許諾を取ることが書かれていました。が、それは守られませんでした>
<僕が口を挟める余地はありませんでした>
<すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました>
<映像関係者には一人も会いませんでした>
<脚本? 見たことがありませんでした>
<かくして、漫画家は蚊帳の外。テレビ局と出版社の間で話し合いが行われ、事が進んでいきます>
<心は壊れました>
などと綴り、当時の状況を告白している。日テレだけに限らずテレビ界全体に広がる原作改変の問題。背景には何があるのか、業界関係者の見解を交え追ってみたい。
『セクシー田中さん』の制作にあたっては原作者の芦原妃名子さんは、ドラマ化を承諾する条件として日テレ側に、必ず漫画に忠実にするという点や、ドラマの終盤の「あらすじ」やセリフは原作者が用意したものを原則変更しないで取り込むという点を提示し、両者の合意の上でその旨を取り決めていた。芦原さんが1月にブログなどに投稿した文章によれば、何度も大幅に改変されたプロットや脚本が制作サイドから提出され、終盤の9〜10話も改変されていたため芦原さん自身が脚本を執筆したという。芦原さんは1月29日、栃木県内で死亡しているのが発見された。
原作が改変されるという問題は以前からテレビ界に広く存在していた。『セクシー田中さん』を制作した日本テレビでは、22年に放送された『霊媒探偵・城塚翡翠』で、原作の改変に原作者が難色を示し、途中で原作者自ら脚本を執筆することになったといわれている。当時、原作者である相沢沙呼氏はX(旧Twitter)上に<四話、脚本をまるっと書かせて頂きました>(同年11月6日)とポストしていたが、相沢氏は今回の『セクシー田中さん』の問題を受けX上で次のようにポストしている。
<約束通りにしてもらうこと、原作を護るためにしたこと、そうした諸々の奮闘が『揉めてる』『口出し』『我が儘』みたいに悪く表現されたときが凄く哀しかったし、契約の縛りで実際になにがあったのかを言えないのは本当にしんどくて、自分が悪者になったような気持ちに陥ったのを思い出しました>(1月30日)
フジテレビでは原作漫画の連載が終了に追い込まれるという事態まで起きていた。1997年にフジテレビで放送された『いいひと。』(制作:共同テレビ・関西テレビ)で、制作サイドは原作漫画の作者、高橋しん氏との間で取り交わしていた、主人公のキャラクターや設定を変えないという条件を破り、改変して放送。これを受け高橋氏は「多くの読者の方に悲しい思いをさせてしまった」(高橋氏の漫画制作事務所「高橋しん・プレゼンツ」公式サイトより)ことに対し責任を取るかたちで、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載中だった同作の連載を終了させていた。当時、高橋氏は連載終了の理由について自身の漫画制作事務所「高橋しん・プレゼンツ」公式サイト上で次のように説明していた(以下、原文ママ)。
<終了を決めた直接のきっかけは、テレビドラマ化でした。関西テレビ・共同テレビのかたにドラマ化の許可を出すための条件の中に、ゆーじと妙子だけは変えないこと、という一文がありましたが、多くのかたが感じたように、ゆーじは変え「られて」いました。私は、もうこれ以上わたし以外の誰にも変えられずに、読者の方々の中の「いいひと。」を守ること、そして同時に多くの読者の方に悲しい思いをさせてしまった、その漫画家としての責任として私の生活の収入源を止めること、その二つを考え連載を終了させようと思いました>
<ごく一部の不誠実なひと以外のドラマスタッフの方々の、良い作品を作ろうとの思いに対して、またその結果うけられた多くの視聴者の方々の支持には心から祝福いてします。また、一部の週刊誌で報道があったようにテレビとの間にいざこざがあったわけではありません(笑)。最初に約束があり、結果的に約束が守られなかったから、約束通り原作を降りた。それだけのことだったんです。関西テレビのプロデューサーのかたから読者の方に対して、「現場が走りすぎたのを押さえることが出来ませんでした。申し訳ありません。」と言う謝罪の言葉も編集部を通してうけとっています。重ねて、一番の責任者である、私からも謝罪いたします。「皆さんと作った大切な作品を守れなくて、申し訳ありませんでした>
『海猿』問題
そのフジテレビで、前述のとおり原作者に脚本を見せないまま映画の放映に至るという問題も起きていた。連続テレビドラマや4作もの映画が制作されるなどフジテレビを代表する人気シリーズの一つとなった『海猿』。その映画第1作となった04年公開の『海猿』は、製作にフジテレビを筆頭に小学館、東宝、ポニーキャニオンなどが名を連ね、製作総指揮は元フジテレビ社長の亀山千広氏、プロデューサーもフジテレビ社員。のちに同局で連続ドラマ化されたことからもわかるとおり、フジテレビ主導で進められた企画だ。
その原作者である佐藤氏は前述のとおり当時の状況を「note」上で告白。それによれば、映画の続編の企画が動き出したが、佐藤氏は<すっかり嫌になってしまい>、続編の映像化の許諾を拒絶すると、フジテレビのプロデューサーが直接出てきて説得を受けたという。結局、映画は第4作まで制作されたものの、フジテレビからアポなしの直撃取材を受けたり、関連本を無断で出版されたりしたことで不信感が高まり、契約更新を拒絶。その結果、現在では『海猿』シリーズはテレビでの再放送やネット配信は行われていないという。ちなみに佐藤氏はこの「note」記事の最後にこう記している。
<芦原さんについて「繊細な人だったんだろうな」という感想をいくつか見かけました。
多分、普通の人だったんじゃないかと想像します。普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います>
原作者と脚本家、直接やりとりできない
テレビ番組制作関係者はいう。
「現在ではどの局でも、原作者から『脚本は見せてもらわなくていい』と言われない限り、脚本について原作者のチェックを受けず制作を進めるということは基本的にはない。原作ものの場合、原作者と脚本家のやりとりは原作の出版社とテレビ局を介したやりとりになるので、お互いの意図がうまく伝わらないということが起きる。そして原作者と脚本家が直接やりとりしたいと要求しても、テレビ局も出版社もそれを嫌がる傾向がある。ただ、直接やりとりするケースも稀にあり、そこはケースバイケース。たとえば原作者と脚本家の意思疎通がなかなかうまくいかず、ドラマの制作進行に支障が生じかねないような状況に追い込まれれば、局としても両者に直接話をしてもらわざるを得ない。
『海猿』の件はよく知らないが、映画の場合、ドラマ以上に作品に携わる関係者の数が膨大になるので、さまざまな事情がからんでくる。なので原作者も制作サイドから『もう動いてしまっている』と言われれば、いくらその映画が原作とかけ離れた方向に向かっているとしても、口を挟みにくくなるものだ」
別のテレビ局関係者はいう。
「こうした問題が繰り返される背景には、原作モノのドラマの場合、原作者と脚本家の間に原作の出版元である出版社とテレビ局が入るため、やりとりの過程においてお互いの意図が正確に伝わりにくいという問題がある。『セクシー田中さん』の件でいえば、原作者がここまで厳格に原作に忠実であることを要求しているという事実が、十分に脚本家に伝わっていなかったと考えられる。稀ではあるが、作品によっては脚本づくりの過程において原作者と脚本家が直接やりとりをするケースはある。だが、そうすると多岐にわたる利害関係を調整しなければならないテレビ局の制作サイドによるコントロールがききにくくなる可能性もあるため、局としては『間に入っておきたい』という事情もあるし、原作者と脚本家の意見が対立した場合の緩衝材になるという役目も発揮できる」(2日付当サイト記事より)
野木亜紀子氏<脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実>
こうした内実について、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)や『アンナチュラル』(同)などで知られる脚本家の野木亜紀子氏は2日、自身のX(旧Twitter)上に次のようにポストしている。
<原作がある作品の脚本を手がける脚本家が、事前に原作者に会う/会わないの話ですが。脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実で、慣例だと言われています。私も脚本家になってからそれを知って驚きました。
良くいえば「脚本家(あるいは原作者)を守っている」のであり、悪くいえば「コントロール下に置かれている」ことになります。
慣例といっても、原作サイドから「事前に脚本家と会いたい」という要望があれば、プロデューサーも断れるはずがなく、そんな希望すら聞いてくれないのであれば作品を任せないほうがいいし、それを断る脚本家もいない……というか、会いたくないなんて断った時点で脚本家チェンジでしょう。原作がある作品において、脚本家の立場なんてその程度です。
次に、事前の話ではなく、脚本を作っていく中でのやり取りの話ですが。
注意)今回のドラマがどうだったかはわかりません。作品によって異なります。以下は、あくまで一般論(この12年で私が見知った範囲内)の話です。
脚本家からしたら、プロデューサーが話す「原作サイドがこう言ってた」が全てになります。私自身も過去に、話がどうにも通じなくて「原作の先生は、正確にはどう言ってたんですか?」と詰め寄ったり、しまいには「私が直接会いに行って話していいですか!?」と言って、止められたことがあります。(後に解決に至りましたが)>
問題となった『セクシー田中さん』でも、脚本を担当する相沢友子氏が昨年12月に自身のInstagramアカウント上に次のように投稿していることからもわかるとおり、原作者と脚本家は直接のやりとり行っていなかったとみられる。
<最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました>
<今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように>
日本テレビ局関係者はいう。
「日テレとしては『セクシー田中さん』の問題について、現時点では調査やその結果の公表などをする意向はない模様。経緯はどうであれ、制作・放送にあたっては最終的にはきちんと脚本家の意向を反映して承諾を受けた脚本を採用しており、改変した内容を原作者の許可がないまま放送したというわけではないからだ。ただ、問題はテレビ界全体に波及しており、このまま幕引きというわけにはいかない空気になっているのも事実だ」
当サイトは1月31日付記事『セクシー田中さん』問題の背景について報じていたが、以下に改めて再掲載する。
――以下、再掲載(一部抜粋)――
日テレ関係者はいう。
「一般的に原作サイドとテレビ局の間で取り交わす契約書では『原作者の許可なく改変してはいけない』というレベルの大枠までしか書かれておらず、具体的にどれくらいのどういう変更なら許容されるのかといった細かい内容までは書かれない。そこまで細かな内容をあらかじめ契約書に盛り込むのは現実問題として難しく、今回の『セクシー田中さん』では芦原さんが要求していた『原作に忠実に』のレベルの厳しさが、小学館と日本テレビを通じて脚本家にきちんと伝わっていなかったとみられる。原作者がどこまで原作に忠実であることを求めるのかは、その原作者によってまちまち。ドラマ制作の現場では、その都度、プロデューサーなりが原作者と脚本家の間の言い分を調整し折り合いをつけながら進めていくものなので、今回も制作サイドとしては『進めていくなかで調整していく』という意識だったと考えられる。
現在ではウチの局に限らず『原作者の意向が最優先される』という大前提がドラマ制作にはある。ただ、局の制作スタッフや脚本家としては『原作者がそこまで細かく要求してくるのは、いかがなものなのか』と抵抗を感じる場面が出てくるのも事実で、それゆえに最悪、脚本家の降板などが起きる。『原作に忠実』というのは大事だが、連ドラは1話1時間で全10話ほどという制約があり、各話のラストでは翌週の回まで視聴者を引っ張るように工夫し、さらにいえば『ドラマとして面白いもの』に仕上げなければならず、完璧に原作に忠実にすることは不可能。当然ながら脚色や原作にない内容の挿入などが発生する。それを原作者側が『仕方がないこと』『ドラマとしての演出』と理解してくれるがどうかは、その原作者次第になってくる」
日テレ関係者「契約違反には当たらない」
日テレは芦原さんの訃報に際し、29日のニュース番組内で
<2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております>
とするコメントを発表しているが、別の日テレ関係者は「現時点で局内に、これ以上調査して結果を対外的に発表するような動きはみられない」という。
「日テレのコメントに対し『自己正当化めいている』といった反応もみられるが、ここに書かれている内容が全てとしかいいようがない。プロセスはどうであれ、原作サイドとのやりとりを経て原作者の承諾を得た脚本が決定稿となり、それに基づきドラマが制作・放送されており、原作者の合意を得ないまま放送されているわけではないので、契約違反には当たらない。ただ、結果的に原作者がブログやSNSで局の制作陣への批判を公開するという異例の事態を招いた責任は、最終的にはプロデューサーにあるということになる」
こうした問題は日テレに限ったことなのか。ドラマ制作関係者はいう。
「原作者と局サイドが揉めたり、脚本家が途中で降板するという事例は過去にいくらでもあり、事情はどの局も変わらない。それでも以前に比べれば、過去の教訓から現在では権利関係をはじめとするさまざまな項目について事前に契約書でクリアにしておくという風潮が広まり、だいぶマシになった。脚本の問題に限らず、ドラマ制作の過程においては想定外のトラブルが次から次に起こり、都度スタッフが臨機応変に対応して、なんとか最終話の放送までこぎつけるというのが実情。ただ、今回の件に限っていえば、ドラマ化によって発行部数を伸ばしたい小学館と、人気漫画を原作に引っ張ってきたい日テレが前のめりでことを進めたあまり、原作者と脚本家への対応がおざなりになってしまった印象を受ける」
脚本家、原作者からさまざまな反応
この問題をめぐる業界内の反応は大きく、脚本家、原作者となる漫画家などから数多くの声があがっている。『こういうのがいい』が23年10月にABCテレビでドラマ化された漫画家・双龍さんはX上に
<メディアミックスって想像以上にいろんな業界が一挙に動いていて、人数規模も大きいから意図通りに行くわけがないと言うのは前提としつつ考える必要はあるなぁと私も経験してわかったことだし、とはいえ全ては原作者の意向に沿うのが当然だという意見は変わらないよ>
<原作の意味が分かってない人と分かってる人とで言ってる内容に天地の差がある。わかってない人は謎視点を作り上げて改変側を擁護する。わかってる人は尊敬の念も無く合意も無い改変は悪とする。どっちが正しいのか明らかかなのにな>
とポスト。
『のだめカンタービレ』(講談社)の原作者・二ノ宮知子さんはX上に、
<原作者が予め条件を出すのは自分の作品と心を守るためなので、それが守られないなら、自分とその後に続く作家を守るためにも声を上げるしかないよね…>
とポスト。『18歳、新妻、不倫します。』(小学館)の原作者・わたなべ志穂さんはX上に、
<改めてですが芦原先生はとてもリスクを持ち発言されたと思います。俳優さんを傷つけるのではないか、ドラマを楽しんだ方から非難されるのではないか、自分はこれ以上傷付くのか。ドラマ制作時作者には味方はあまりに少ない。勿論大事にして下さる現場もありますが多くは違うはず 飲み込む作家がほとんどでしょう。それは冒頭の俳優さんや視聴者原作ファンのために>
とポスト。
また、参院議員で漫画家の赤松健氏はX上に、
<漫画や小説のメディアミックス企画(アニメ化やドラマ化)では、昔から頻繁に「原作者の望まない独自展開やキャラ変更」などが問題になってきた。もっとも近年は「原作者へのまめな報告や根回し」が行われるようになり、昔のような「原作者が協力を拒否して(オリジナル企画へと)タイトル変更」などというような事は少なくなってきたと思う>
<まだまだ「(原作者への)事前説明の徹底」と「二次使用に関する契約書」の詰めが甘いということだ。この2点は主に出版社と制作側(製作委員会など)側の問題だが、原作者側でも「事前の説明で納得がいかなかったり、後から約束と違うようなことがあった場合の相談場所やその知識」が必要になってくると考える>
とポストしている。
日本テレビで解説委員やドキュメンタリー番組のディレクターを務め、放送局の現場に詳しいジャーナストで上智大学教授の水島宏明氏は、1月30日付当サイト記事で次のようにコメントしている。
<近年のテレビドラマでオリジナル脚本よりも漫画や小説などの原作をもとにした作品が目立っています。他方で、ドラマ制作にあたっては地上波での「放送」だけでなく、インターネットでの「配信」も可能になる環境づくりを進めています。かつてはこうした際の契約はかなりずさんで、使われている音楽などの権利処理ができずに昔のテレビドラマをネットで配信できないという事態に陥っています。現在はその点はかなり改善されており、ネット配信も見据えた契約書となっています。契約そのものが以前よりも厳密なものになっているので、原作がある作品についてドラマ化する場合にも、原作の扱いをどうするのかについては、かなり細かい点まで詰めた契約を交わしている可能性が高いと思います。
今回、契約はどうなっていたのでしょうか。契約書の内容そのものが詳しく明かされていないため明確にはいえませんが、原作をどう扱う取り決めになっていたのかをめぐって原作者と日本テレビの制作サイド、あるいは脚本家との間で「解釈のズレ」が生じていた可能性が大きいと考えています。特に原作者と脚本家の間で「解釈のズレ」があったことは、SNSでの発信などから見てとることができます>
(文=Business Journal編集部)