30年ほど前まで、セーレンは染色加工事業が主力の繊維製品下請けメーカーにすぎなかった。14期連続の赤字を垂れ流し、業績はボロボロだった。地元では「ボロレン」と揶揄され、会社は危急存亡の秋を迎えていた。
そんな同社は、社員のやる気を引き出す「仕事の仕組みの変革」で窮地から脱却した。
さらに、入社直後に経営批判をしたことで「異端児」「厄介者」といったレッテルを貼られ、冷や飯を食わされていた社員が勝手に開発、ヒットした自動車内装材事業を軸に、事業構造改革を断行した。それにより、電磁波シールド、人工血管材、建材シートなどの機能性繊維を次々に開発し、繊維製品の産地・福井県を代表する、先端的な繊維総合メーカーに生まれ変わった。
同社を一躍有名にしたのは、05年のカネボウの繊維事業買収だ。
元請けを下請けが買収する異例のM&Aに、当時の繊維業界関係者は一様に驚いた。それだけではない。当時の産業再生機構が「不可能」とさじを投げていたカネボウ繊維事業の再建を、同社はたった2年で達成し、業界を再び驚かせた。
その後、同社はITを駆使することで、繊維事業を婦人服の製造小売事業に進化させるなど、今ではカネボウ繊維事業が成長エンジンの一つになっている。カネボウの化粧品事業を買収した資生堂の場合、13年に発生した「白斑問題」で被害者から集団訴訟を起こされるなど、カネボウ化粧品事業がお荷物と化しているが、それとは対照的だ。
同社は、なぜ不可能といわれたカネボウ繊維事業の再建を達成することができたのだろうか?
ふてくされ社員に希望を与えた「川田再建」
それは、05年秋のことだった。
「カネボウからKBセーレン(セーレンの子会社)に変わって3カ月。みなさんへのあいさつが遅れて申し訳なかった」
長浜工場で、旧カネボウの全社員に初対面したセーレン社長(現会長)の川田達男氏は、そう陳謝した。旧カネボウ社員たちからどよめきが起こったのも無理はない。
長浜工場は、かつて「東洋一の綿布工場」と呼ばれた、旧カネボウの主力繊維工場だ。しかし、カネボウは80年代以降の経営不振で倒産、産業再生機構の再建計画で、同社の繊維事業は最下位の「第四分類」にランクされた。