つまり、繊維事業の再建は不可能と判断されていたわけだ。そんな繊維事業を買い取ったのが、旧カネボウ社員にとっては無名に等しい、福井の染色加工メーカーだった。旧カネボウ社員の誰もが、「田舎の染色屋に、上流の製糸・紡織ができるのか。買収は、カネボウの製造設備と技術の転売目的ではないか」と疑心暗鬼に陥り、「新会社に残れるのは、ほんの一握り。これから、どんな人員整理の嵐が吹き荒れるのやら」と不安に駆られていた。
ところが、初めて長浜工場の視察に来たセーレンのトップは、開口一番「あいさつが遅れた」と陳謝し、繊維事業再建の道筋を詳細に説明した。「話の意外な展開に、安堵するより唖然とする思いだった」と、旧カネボウ社員は当時を振り返る。
川田氏が、長浜工場で旧カネボウ社員に説明した繊維事業再建の道筋は、三つだ。
一つ目は、製品の高付加価値化だ。買収の目的は、製糸から縫製まで繊維製品の一気通貫生産体制の構築である。それにより、低コストで付加価値の高い製品を製造・販売する。したがって、心配しているような人員整理はあり得ないどころか、再建が軌道に乗れば増員が必要になる。
二つ目は、「カネボウが誇った、日本一の栄光を取り戻そう」というものだ。会社は倒産したが、優秀な人材が残っている。不幸だったのは、旧カネボウで自分たちの独自性を存分に発揮できる環境が与えられなかったということであり、それが倒産の一因でもあった。だから「栄光を取り戻すため、諸君の独自性発揮を尊重する」というわけだ。
三つ目は「変えよう」である。古い企業体質を変えることができるか否かが、再建の鍵を握る。社員全員が自分の役割と責任を自覚し、仕事への取り組み方を自ら変え、「会社を変えられるのは、自分たちだけだ」という気概で再建に取り組んでほしい、というものだ。
その後、川田氏は月に一度は長浜工場に足を運び、社員とマンツーマンで話し込み、「もう一度、みんなが夢を持てる会社に作り直そう」と語り続けた。倒産で意気消沈し、ふてくされていた旧カネボウ社員たちも、川田氏の熱意に打たれ、やがて競うように業務改善を提案し、率先して再建に取り組むようになった。
川田氏は、現場の社員とのコミュニケーションと並行して、90億円の設備投資を断行した。当時は、セーレン本体の設備投資額が年間120億円だったが、生産設備を一新することで、川田氏は再建の本気度を旧カネボウ社員に示したのだ。
カネボウ時代、設備投資は修繕レベルの年間数億円だったため、彼らは活気づいた。「カネボウ時代は雲上人だったトップが現場へ来て、一対一で自分たちの意見に耳を傾けてくれる。さらに、あり得ないと思っていた最新設備まで入るのだから、再建意識が高まるのは当然でした。今では、新規事業創出にチャレンジするまで士気が上がっています」と、前出の社員は語る。