伊400は世界初の潜水空母だった。全長122メートルを誇り、折りたたみ式の攻撃機が3機入る格納筒を搭載していた。この潜水艦をソ連に渡したくない米国は、手に入れて調査していた伊400を撃沈させた。そして70年後の2013年、ハワイ大学の調査チームが伊400の残骸をハワイ沖で発見した。山西氏は伊400に22歳で乗り込みワクワクしたと、当時を振り返った。
イズミの誕生と成長
山西氏は1922年9月1日、広島県大竹市に生まれた。20歳で海軍に入隊し、22歳で当時世界一といわれた潜水艦、伊400に機関兵として乗艦。オーストラリア沖ウルシー環礁への出撃途上、西太平洋上で終戦を迎えた。
戦後、原爆投下で焼け野原となった広島駅前の闇市で戸板一枚の露店を始め、伊400乗船時に仲間から勧められたのをヒントに干し柿を売った。ダイエーの創業者、中内功氏の原点が神戸の闇市だったように、スーパーの創業者はほとんどが闇市世代である。広島駅前の闇市をルーツとする上場企業は、イズミのほか四国最大のチェーンストア、フジの母体となった十和(とおわ、現ヨンドシーホールディングス)がある。
山西氏は1950年に衣料品卸問屋、山西商店を設立。61年にいづみを創業した。78年に広島証券取引所と大阪証券取引所に上場。東京証券取引所の2部上場を経て87年、東証1部に昇格した。90年からゆめタウンの展開を始め、95年に九州に出店したことで飛躍した。大型ショッピングセンターの空白地だった九州で大成功を収め、業績を伸ばした。関西に出店するのではなく、強力な同業者がいない九州に出た判断が当たった。
三重県四日市市で焼け跡から立ち上がった岡田卓也氏が、スーパーのジャスコ(現イオン)を「タヌキやキツネの出るところ、カエルの鳴くところ」に出店し、力を蓄えていったのと共通している。
山西氏は現在もイズミの会長。社長の山西泰明氏は婿養子で、ヤオハン元社長である和田一夫氏の実弟だ。
業績好調の理由
総合スーパーが苦戦する中、イズミの業績は好調だ。2015年2月期連結決算の売上高は前期比4.1%増の5797億円、営業利益は4.2%増の303億円。それぞれ5期連続、3期連続で過去最高を更新した。