拙著『日本スターバックス物語』(早川書房)で紹介した通り、スターバックス コーヒー ジャパンは、1995年10月に、米国スターバックスと日本のサザビー(現サザビーリーグ)が50%ずつ出資する対等合弁事業としてスタートしました。事業成功を夢見る関係者の思いは熱く、「いつか日本で1000店舗を出そう」と話し合っていました。
しかし世間の評価は厳しく、「スターバックスは日本では成功しない」とコーヒー業界関係者は口をそろえていました。その理由は2つ。すでにドトールコーヒーという強力なプレーヤーがいたこと、そしてスターバックスが米国の企業だからでした。アメリカンと呼ばれた米国のコーヒーは、「薄くてまずい」と思われていたのです。
フォロワーがリーダーをつくる
そんな逆風の中、なぜ誰も本気にしない夢を達成できたのか。それはリーダーの夢を共有したフォロワーがいたからです。
「最初のフォロワーの存在が、ひとりのバカをリーダーへと変えるのです」
これは、非営利団体TEDが開催する講演会で、米国の起業家デレク・シヴァーズ氏が語った言葉です。
シヴァーズ氏は、上半身裸で踊るひとりの若者の映像を見せます。それを周りで見ている人々の中から、やがて立ち上がってこの若者に近づく人物が現れます。彼は最初の若者と一緒に楽しそうに踊り始めます。勇気あるフォロワーが現れたことで、リーダーが誕生する瞬間です。
TEDの映像を見て、これこそスターバックスだと直感しました。
スターバックス米国本社会長兼社長兼最高経営責任者のハワード・シュルツ氏は、地味なコーヒー豆卸会社を世界一のコーヒーチェーンに育てた中興の祖です。しかし、シュルツ氏がカフェ事業をスタートした時、どうやればカフェを上手に運営できるか、実はよくわからずにいたのです。自分の夢を実現するために一人奮闘するシュルツ氏は、TEDの上半身裸で踊るひとりの若者の姿そのものでした。
運命の出会い
ある日、シュルツ氏は運命の男性、ハワード・ビーハー氏と出会いました。ハンサムで大統領候補にもなれるようなカリスマ性を備えたシュルツ氏に対して、ビーハー氏は農夫のような素朴な風情で現場を取り仕切るタイプでした。2人は惹かれ合っただけでなく、必要とし合っていることを直感しました。働く仲間たちへの強い愛情にあふれたビーハー氏は、口癖のように言い続けました。
「スターバックスはコーヒービジネスじゃない、ピープルビジネスなんだ」
これがシュルツ氏のハートに火をつけました。コーヒーに対する自分の情熱は、一緒に働いてくれる仲間たちの情熱とスキルがあって初めて実現する。そのことに気づいたシュルツ氏は、ビーハー氏にカフェ事業の基盤づくりを任せました。ビーハー氏は、シュルツ氏の期待に応え、入社時には28しかなかった店舗数を5年間で400店舗にまで伸ばしました。シュルツ氏のコーヒーに対する情熱と、ビーハー氏の人に対する情熱が化学反応を起こし、スターバックスはカフェ事業の基盤を整えることができたのでした。
ビーハー氏がシュルツ氏の最初のフォロワーになったことで、シュルツ氏は本物のリーダーになれたのです。
そのビーハー氏が後年、スターバックスの国際事業を推進することになり、最初に取り組んだのが日本への進出でした。スターバックスにとっても、ビーハー氏個人にとっても、まったく未知の国の日本で、パートナー企業として名乗りを上げていたのがサザビーでした。1994年の初来日時に、今度はビーハー氏が運命の出会いをします。相手は、サザビー創業者・鈴木陸三氏の実兄である角田雄二氏で、後に日本の合弁会社の初代社長に就任する人物です。
フォロワーがフォロワーを呼ぶ
角田氏はロサンゼルスに初出店したスターバックスを見て惚れ込み、直接シュルツ氏に会いに行き、日本での事業提携を申し込みました。角田氏もまた、シュルツ氏のコーヒーへの情熱とスターバックスを大きくしていく夢に共感し、その実現に協力したいと強く思ったのです。ビーハー氏と角田氏は、いわば日米を代表するフォロワーです。2人はすぐに意気投合しました。
ビーハー氏と角田氏は、現場オペレーターとして実力を認め合う仲であり、二人三脚で日本のスターバックスを立ち上げていきました。ビーハー氏は角田氏から日本のマーケット事情を学び、一方の角田氏はビーハー氏を通してスターバックスの運営方法を身につけていきました。2人の理解が深まると、面白い現象が起きました。「ユージ」「ハワード」と掛け合い漫才のように名前を呼び合うだけで、現場の問題が以心伝心で解決するようになったのです。これには米国スターバックスのスタッフたちも目を丸くしていました。
ビーハー氏と角田氏は、店舗パートナー(従業員)が主役ということを徹底して実践し、仕組み化していきました。経験もスキルも不足していた日本の創業メンバーたちは、ビーハー氏と角田氏に「どんとやってこい!」と背中を押されると、目を輝かせて仕事に取り組むようになりました。リーダーの指示がなくても、目の前で困った仲間がいれば助ける。こぼれ球があれば自分が拾って走る。そして次の人に手渡す。そういう実践的なフォロワーシップが自然と日本のスターバックスに根づいていきました。
フォロワーは、リーダーではなく自分の目の前にいるフォロワーをフォローするものです。シュルツ氏の夢をフォローするビーハー氏と角田氏の姿を見た日本の創業メンバーは、駅伝のタスキをつなぐように、お互いをフォローし合い、着実に店舗数を増やしていきました。そして気づくと、虹の彼方にあると思っていた「1000店舗の夢」を実現していました。
裸踊りをしていた「ひとりのバカ」をリーダーに選んだ最初のフォロワーは、リーダーの夢を広めるために、自分に続くフォロワーたちを招き入れました。彼らは助け合い、一緒に前に進み、いつの間にか大きなムーブメントを創り上げました。フォロワーが主役で活躍する「ピープルビジネス」こそが、スターバックスの真の成功要因だったのです。
(文=梅本龍夫/立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授、経営コンサルタント)