国内ビール市場においては過去、長きにわたりキリンビールの「ラガービール」シェアトップの時代が続きましたが、現在ではアサヒビールの「スーパードライ」が逆転しています。スーパードライの躍進により、一時は「夕日ビール」とまで揶揄されたアサヒの経営状況は一変し、今や国内ビール系飲料市場シェアトップで営業利益も絶好調です。
こうした好調な企業を対象にSWOT分析(企業の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を分析する手法)を行えば、多くの強みと機会が抽出される一方、弱みや脅威に関する項目はなかなか見つかりません。一方、不調の企業を対象とすれば逆の結果となります。
では、ビール業界のリーダーとなったアサヒビールの弱みと脅威には、どのようなものがあるのでしょうか。
アサヒビールを取り巻く脅威:キリンビールの覚悟
脅威としてまず真っ先に思いつくのは、ライバルの存在です。近年でこそ「ザ・プレミアム・モルツ」の大ヒットによりサントリーホールディングスの存在がしばしばクローズアップされますが、筆者は長年にわたり首位の座を競いあったキリンに注目しています。
キリンに興味を持つようになったきっかけは、極めて個人的な出来事です。大学のゼミナールで「マーケティングに携わる者はモノづくりもしっかりと勉強しなければならない」という口実のもと、毎年ビール工場見学を行っています。中部地区にはアサヒとキリンの工場があり、隔年で1社ずつ、昨年はキリンを訪問しました。
ビール工場見学の締めくくりは出来立てビールの試飲となるわけですが、ついに「ラガービール」はなくなり「一番搾り」に一本化されていたことに大変驚きました。長年会社を支えてきた看板商品を引っ込めるには相当の覚悟が必要になるわけですが、キリンの本気度を目の当たりにし、「何かこれから新しいことが始まるのではないか」と感じました。
その後、キリンは自社の商品戦略やマーケティングの強化を目的として、地ビールの最大手メーカーであるヤッホーブルーイングと資本業務提携をしています。この提携の主たる目的である「成熟した大手企業が若い成長企業から学ぶ」というスタンスは非常に好感が持てます。今年の5月に全国9工場それぞれで製造されたご当地限定「一番搾り」が計9種類発売されましたが、こうした取り組みはヤッホーからの学習が早々に実を結んだということかもしれません。
キリンに限らず、これまでの常識では、同じ商品である以上いかに工場間の差をなくし、どこで飲んでも同じ味がする商品を生産するかというのが大手メーカーの基本的スタンスです。これに対して、地元の食文化や味の好みを知っている各工場の醸造長らが、それぞれ工夫した地元ならではのつくり手の顔が見えるビールをつくるという取り組みは、まさに逆転の発想で大変興味深いものです。こうした取り組みが功を奏し、今年上期はビールの販売量が23年ぶりに上向くという結果につながっています。
脅威に関しては、ビール業界に限らず、社会の大きな変化がよく取り上げられます。ビール業界にかかわる社会の変化といえば「若者の酒離れ」であり、業界としては非常に深刻な問題です。一般にリーダー企業は市場拡大の際に最も恩恵を受けるため、本来なら積極的にビール市場拡大に努めるべきでしょうが、例えばマス広告による大々的な「若者よ、たくさんビールを飲みましょう!」といったキャンペーンを社会が受け入れるとは考えがたく、現実的な対応とすれば、すでに行われているような低アルコールビールなどへの注力にとどまるのかもしれません。
アサヒビールの弱み:スーパードライの呪縛
キリンやサントリーといったライバルの行動以上にアサヒにとって深刻な潜在的問題は、アサヒ自身の弱みだと筆者はとらえています。具体的には「スーパードライ」という存在です。
例えば自動車業界において、バブル期に人気を博した三菱自動車「パジェロ」がRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームの1990年代、多くのユーザーに高い人気を誇り販売も好調でした。しかしながら、多くのヒット商品同様、RVブームが去った現在ではその売り上げは低迷しています。
三菱自動車としては「パジェロ」以外の車種開発・強化など何か打つべき手があったのではないでしょうか。当時、「パジェロ」の軽自動車版が発売される際、車名が一般公募されたのですが、結局「パジェロミニ」に決まったと発表された時には愕然としました。あくまでも筆者の推測ですが、当初は挑戦的に風呂敷を広げたものの、土壇場になり結局はそろばんを弾き、これ以上ない無難な選択を行ったのではないでしょうか。その後も「パジェロジュニア」「パジェロイオ」など、「パジェロ」を冠とするネーミングの車種が次々と市場に投入されていきました。
もちろん、こうしたブランドの拡大はブランド価値の有効活用であることに間違いはありませんが、裏を返せば大ヒット商品の呪縛から逃れられず、他の車種へのパワーが削がれた可能性も否定できないのではないでしょうか。
スーパードライを追い越す商品は、アサヒ自身がつくり上げる
アサヒが発泡酒や第3のビールで他社より後発になったのは、「業界のリーダー企業はより大きな経営資源の活用により巻き返しが可能であるため先行しない場合が多い」という常識に沿うものであるとも捉えられます。しかしそれ以上に、「スーパードライを守る」という意図があったのではないでしょうか。
さらに、プレミアムビールへの参入において、「ドライプレミアム」というネーミングはこれ以上ない正解の中の正解、まさに王道でしょうが、視点を変えれば、たとえそれが短期的利益を確実に最大化させるとしても、あまりに保守的な行動ともとらえられます。また、リスク管理の視点に立てば、万が一「スーパードライ」をめぐる問題が生じた場合、強いつながりを想起させる「ドライプレミアム」にも大きな負の影響を与えることでしょう。
大ヒット商品である「スーパードライ」の価値を長期にわたり維持していく戦略の重要性は、決して否定しませんが、「スーパードライを追い越す商品はアサヒビール自身がつくり上げる!」という気概が、ただでさえ保守的な行動になりがちな業界リーダー企業であるアサヒの活性化において重要ではないでしょうか。
マラソンで、先頭を走っているランナーが苦しそうな表情を浮かべているのとは対照的に、2番手のランナーが楽しそうに走っている――。同様の光景は、企業間の競争でもよく見られます。
「スーパードライを自ら壊す!」という気概は、楽しく先頭を走るランナーを誕生させるかもしれません。
(文=大崎孝徳/名城大学経営学部教授)