カルピスの製法は、次のような流れだ。まず、絞ったままの生乳から脂肪分を取り除いた脱脂乳に独自の「カルピス菌」を加え、一次発酵を行う。この発酵では乳酸菌が働き、上質な酸味が生まれ、一次乳(=カルピス酸乳)となる。次に砂糖を加えて二次発酵が行われる。二次発酵では酵母が働き、「カルピス」独自の芳醇な香りが生まれるという。
製造工程をここまで紹介するのは、過去の苦い経験がある。07年に消費者調査を行い、ブランドのイメージを聞いた結果、「白くて甘い飲み物」というイメージしかなく、「白色は着色料」という声もあった。これに関係者は衝撃を受けた。商品の強みである「乳由来の白」「乳酸菌による甘酸っぱさ」という本質が、消費者には届いていなかったのだ。
これ以降、おいしさと健康を訴求し始め、09年に商品パッケージに「乳酸菌の自然の恵みから生まれました」というコピーを入れた。これに15年から「発酵」が加わったのだ。
100年ブランドの歴史と、2016年と17年の成功
「カルピス」の生みの親は三島海雲(1878~1974)だ。大阪にある寺の住職の長男として生まれ、13歳で得度。一時は英語教師となったが、仏教を学ぶために大学に編入し、大学の勧めで中国に渡航した。教師を経て雑貨商として当地に住み、仕事で訪れた内モンゴルで、“乳を乳酸菌で発酵させた白くて酸っぱい飲み物”と出合う。日本に帰国後、乳酸菌に着目した商品を発売→失敗を繰り返した末、1919年7月7日に「カルピス」を発売した。
発売3年後の1922年に、現在もデザインとして受け継がれる「水玉模様」の包装紙を初めて用いた。“初恋の味”のキャッチフレーズは、早くも同年の新聞広告に使われている。
ブランドの軸足は定まっていたが、100年のうちには大きな危機が2度あった。
最初は、1973年の第一次オイルショックによる値上げをきっかけに売り上げが低下。80年代には飲料のアウトドア化にも乗り遅れた。当時、濃縮タイプが中心のカルピスは「自宅でつくる飲み物」で、外出時に飲まれなかった。起死回生となったのが「カルピスウォーター」の発売で、92年には年間2450万箱を売る大ヒットとなった。
だが、2000年代になると再び苦戦する。その理由が前述の「白くて甘い飲み物」の声に代表される訴求不足だ。「子どもの飲み物」「カロリーが高そう」という声もあった。
そこで、ブランド価値を再構築した活動を続けながら新たに発売したのが、大人も楽しめる「濃いめの『カルピス』」(16年)と「カラダカルピス」(17年)だ。いずれもヒット商品となった。
「現在、『濃いめの「カルピス」』や『カラダカルピス』の販売数が、『カルピスウォーター』の販売数量に上乗せされました。カルピスウォーターも大ヒットした当時に匹敵する数量に回復しています」(広報担当)