「暴力団」という言葉で問題の論点がズレてはならない――。
2018年4月にかんぽ生命の不正販売問題を報道したNHKに、日本郵政が抗議をして続編の放送が延期され、視聴者からの情報投稿を呼びかける動画を削除した。その過程で、抗議を受けたNHK経営委員会が上田良一NHK会長に注意し、放送総局長が日本郵政を訪問して謝罪文を提出していた。
NHKが日本郵政からの抗議に簡単に白旗を上げたようにみえるが、元総務事務次官の鈴木康雄日本郵政上級副社長が「NHKのディレクターに『取材に応じれば動画を削除する』と言われた。まるで暴力団のようだ」と発言したことに、民放各局のワイドショーやネットメディアはこぞって焦点を当てた。
「暴力団のようだという発言には人々の目線をそらそうという意図が見えるが、かんぽ生命の不正販売問題が免責されるわけではない」
そう指摘するのは、元日本テレビディレクターで上智大学文学部新聞学科教授の水島宏明氏である。水島氏は一連の出来事について、2つの問題を挙げる。
ひとつは、報道機関にふさわしくないNHKの組織体質である。一般企業の場合、経営トップが商品やサービスの質に意見を挟んで、社としての最終判断を下す例は珍しくない。だが、報道機関にこの経営姿勢は当てはまるだろうか。
「経営陣が編集や制作の現場に細かい点で口を出すことはあってはならない。記者やディレクターや制作担当者は、欧米の報道機関のように社内で担当者にジャーナリストとしての裁量や自由が保障されていないと、中立な報道ができなくなってしまう。NHKの上田会長は現場に口出しをしない良い会長と言われていたが、今回は簡単に口出ししてしまった。これでは公共放送の在り方が揺らいでしまう」
もうひとつの問題は、日本郵政の鈴木氏の存在である。日本郵政はNHK経営委員会に抗議したが、水島氏によると、この行為には鈴木氏のキャリアが活かされているという。
「NHKの番組内容に抗議する際に経営委員会に抗議した例は、過去にないのではないだろうか。元総務事務次官の鈴木氏は、NHKの体質やNHKが何に弱いかを知っていて、攻め方を心得ていたのだろう」
NHK経営委員会メンバーは12人で、国会の同意を得て任命される。
「欧米なら委員に任命されても中立的な立場を守って意見を述べるが、日本人は、政権や経済界など権力側の意向に合わせてしまう傾向が強い。だからNHK経営委員会は上田会長に厳重注意するという行為に及んだのだろう」
報道機関の経営者としての見識
じつは水島氏にも、今回の件と同様の経験がある。以前、水島氏は北海道のテレビ局に在籍していた。その時代、札幌市の福祉行政に頻発していた不祥事を取材したことがあった。市長の記者会見で水島氏は、厳しい質問を繰り返して、市長の見解を引き出そうと試みた。すると市長は回答を渋って、福祉担当部署に回答させるべく体をかわそうとしたため、水島氏はこう迫った。
「たび重なる不祥事について自分はこう思っていると、市長はカメラの前で姿勢を示すべきではないのか」
会見終了後に、市側は水島氏の上司である報道部長に電話を入れ、報道部長は市役所を訪ねた。帰社した報道部長は、水島氏に「今回のような取材の仕方はやめるように」と指示してきたのだった。
権力機関と報道機関との関係は、とくに地方では持ちつ持たれつの一面もあるが、理不尽な抗議に対する姿勢で、報道機関の経営者としての見識がわかるという。
「見識のある経営者は、理不尽な抗議に対して『その抗議に答える必要はない』などと受け流して、後日担当記者に『じつは、こういうことがあったよ』と報告するかたちを取る。
以前、別の問題でやはり札幌市の不祥事をきっかけにドキュメンタリー番組を制作したときに、当時の市長から会社の経営トップに『放送中止』を求める電話があったと後から聞かされた。市が提供する広報番組などを引き上げるという脅しめいたことも言われたそうだが、そのトップは『報道に関しては番組にするかしないか、おたくに干渉されるいわれはない』とピシャリと断った。このエピソードは当時の担当者だった自分に直接伝えられることはなく、数年後に当時の担当取締役が打ち明けてくれた。見識がある立派な経営者とはこういうものかと実感した。
見識のない経営者は大騒ぎして報道責任者や担当記者に注意するが、これは現場を委縮させる間違った行動である。
かんぽ生命の不正販売報道は、誰が見てもわかりやすい正義に基づいている。にもかかわらず抗議を受けて現場が委縮するようでは、NHKは歴史認識問題など政治性の強いデリケートなテーマを扱わなくなってしまうかもしれない。そんな空気になってしまうことが怖い。報道機関の委縮は民主主義を弱体化させることにもなる」(水島氏)
NGO団体「国境なき記者団」による「世界報道の自由度ランキング2019」で、日本は調査対象180カ国のうち67位だった。G7加盟国では最下位である。日本の報道はすでに委縮しているともいえるのではないか。