結局、行き着く先は大蔵省
では、銀行自体のガバナンスは誰が見ていたのか。それは大蔵省(現・財務省)である。
大蔵省は銀行経営に関する許認可権をすべて握っていたので、何かで銀行不祥事が起きれば、直接的に銀行を罰することはできなくとも、別のところでその銀行に対し「それは認可しません」といった“お灸”をすえることが可能だったのだ。
戦後、1980年代後半くらいまでは、大蔵省といえばエリート中のエリートであり、泣く子も黙る存在として崇め奉られていた。それは、銀行が日本企業を抑え、そしてその銀行を抑えていた総元締めが大蔵省だということを、国民もなんとなく感じていたからに違いない。
日本的ガバナンスの終焉
改めて、なぜ銀行が日本企業を抑えることができたのか。それは、高度経済成長期で企業はカネが必要なのに、銀行から借りるしかなかったからだ。ところが、1970年代中盤に低成長期が訪れ、それほどカネが要らなくなってきた。「作っても売れない」から、ムリに借金をする必要がなくなったのだ。それとともに銀行の地位がどんどん低下し、銀行による監視体制は消滅した。
さらにバブル崩壊で、銀行自体の経営がおかしくなった。大蔵省も不祥事が相次いだ。
ではそれらはなぜダメになってしまったのか。戦後教育が悪かった(=戦前の教育が優れていたからこそ可能となった所業だったのだ)といった見方もあろう。
ただ、仮に銀行員と大蔵(財務)官僚の資質が維持できていたとしても、いずれにせよ金融当局→銀行→企業というガバナンスの構図は終焉を迎えていただろう。日本企業は今、新たなコーポレート・ガバナンス形成の必要性に迫られているのである。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。