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三菱・岩崎家はなぜ財閥企業トップをクビにできたか?日本企業“ガバナンス”の戦後史

文=菊地浩之
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三菱財閥の4代目総帥、岩崎小彌太。1879(明治12)年に生まれ、敗戦直後の1945(昭和20)年12月に没した。三菱財閥創始者である岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助の長男である。(写真:近現代PL/アフロ)

 2019年10月1日の日本経済新聞は、上場企業の取締役に占める社外取締役の比率が初めて3割を突破したと報じた。同記事では、女性や外国人が増え、「異なった経験や知見を経営に生かす体制が広がってきた」と記している。女性や外国人が増えると、新たな経営のアイデアが生まれてくるというふうに聞こえるが、企業経営ってそんな簡単なものなのだろうかという素朴な疑問が生まれる。

 一方で記事は、「日本ではこれまで曖昧だった取締役の役割を経営の執行に対する監督と位置づける動きが広がっている」とも記している。こちらの方は納得がいく。いまやこの「コーポレート・ガバナンス」にはさまざまな概念が付随しており、ひと言で語ることが難しくなっているのだが、簡単にいえば、1.株主から見て、2.経営者がちゃんとやっているかを 3.可視化することである。

 だから、取締役に「経営の執行に対する監督」を委ねよう、となる。経営執行を監督するには、違った目線・観点が必要であり、当該企業とはしがらみのないほうが適任である。それには、日本企業においてはまだまだ主流である「日本人」「男性」「内部昇進」から離れている「外国人」「女性」「社外」取締役のほうが信頼が置けるということになるのだろう。逆説的にいうと、日本企業は今まで、女性や外国人が取締役にいなくとも、あるいは社外取締役が少なくても、それなりにうまくやっていたのだ。では、今まで日本企業におけるコーポレート・ガバナンスはどのように行われていたのだろうか?

戦前の日本企業は株主が強かった

 戦前の日本企業は株主が強かった。その際たる事例が財閥である。

 たとえば、三菱重工業の社長が同郷の陸軍高官に頼まれ、東条内閣の内閣顧問に就任した。これを聞いた三菱財閥トップ(つまりは株主)の岩崎小彌太(こやた)は「三菱の従業員は政治不介入であるべき」と怒り、社長を更迭してしまった。

 このように、事業に直接関わりがないことでも、大株主の逆鱗に触れると社長ですら簡単に閑職に追いやられてしまう。それが戦前の日本企業の姿だった。

 では、なぜ株主の力が強かったのか。その理由は簡単で、特定の個人に株式が集中していたからだ。前述の三菱重工業は1934年に株式公開していたが、1940年代に至っても三菱の財閥本社、および傘下企業で過半数の株式を所有していた。だから、財閥本社のトップ・岩崎サンは思い通りに財閥企業を経営することが可能だったのだ。

 経営者がちゃんとしていようがいまいが、株主が簡単に経営者を更迭できる状況下では、コーポレート・ガバナンスという概念は不要である。換言するなら、現代企業は経営者が自律し、株主の意向が経営に反映されづらくなったからこそ、コーポレート・ガバナンスが必要になってきたともいえよう。

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