モーツァルトはイカ墨で楽譜を書いた?
紙は、文字があるからこそ必要な物といえます。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明が「世界4大文明」と称される理由は、これらの文明には文字があったので、後年になってもその概要がよくわかるからなのです。半面、中央・南アメリカにあったアステカ文明や、インカ文明も、同じく巨大で高度な文明でしたが、彼らは文字を持たなかったために、謎だらけの幻の文明となったのです。
これは、西洋音楽と日本音楽との対比によく似ています。日本音楽は、基本的に口伝によって、師匠から弟子だけに伝えられる形態でした。現在では、楽譜のようなものが存在していますが、それでも不十分で、重要なことは師匠から習わないといけません。しかも、昔は家元から教えてもらうことを許された者のみが演奏できる門外不出の曲も多かったのです。
しかしながら西洋では、音符という画期的な発明がありました。グーテンベルクの印刷術により、印刷された聖書がヨーロッパ中に行き渡りましたが、どこの教会でも同じ聖歌を歌うことができるようになったのには、楽譜に印刷するための音符の発明が不可欠な要素でした。楽譜さえあれば、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスの曲を、いつでもどこでも演奏できます。
さて、モーツァルトやベートーヴェンが活躍していたころの18、19世紀ヨーロッパでも、紙不足は深刻な問題でした。ブラームスが活躍していた1854年に、ヨーロッパにふんだんにある木材を原料としたパルプから紙を大量生産する技術が実用化されてもなお、やはり紙は高価だったのです。そんなわけで粗悪品も出回り、ブラームスにとっても良質な紙でできた五線紙を手に入れることは、とても高い関心事だったのです。ちなみに、ブラームスが40歳の誕生日を迎えた1873年、日本では、現在、日本で売上高業界第1位の王子製紙が誕生しています。
音符の発明により曲を目に見えるかたちで残せるようになったとはいえ、作曲家たちにとっては、音符を書き込む五線紙がないことには何も始まらないので、20世紀になって紙の供給が安定するまでは血眼になって良質の紙を探し回る必要があったのです。
ちなみに、作曲家たちを困らせたのは、紙不足だけではありません。音符を書くためのインクも大変高価なもので、当然のことながら粗悪品も多かったのです。そこで、モーツァルトが愛用したのは、当時、インクの代用品として大変ポピュラーだったイカ墨でした。モーツァルトがイカ墨を使って書いた名曲を、現在の我々はうっとりと聴いているわけです。
(文=篠崎靖男/指揮者)