ドイツを代表する作曲家のひとりにヨハネス・ブラームスがいます。彼は、ドイツの港湾都市ハンブルクから、モーツァルトやベートーヴェンが活躍していたオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンに移住して大成功を収めました。そんなブラームスが、すでにウィーンの音楽界の重鎮となっていたある日、自宅に若い作曲家が訪ねてきました。その若い作曲家は、自分の作曲した作品を見てもらい、はっきり言うとブラームスに評価されて、ウィーンの音楽界に自分を紹介してほしいという魂胆でやってきたのでした。
ブラームスは、若い作曲家からもらった楽譜をじっと見つめました。しかし、おかしなことに、次のページをめくる気配がありません。そして長い時間が経過したあと、ついにブラームスは口を開きました。
「君、この五線紙(音符を書き込む紙)はとても良い。どこで手に入れたんだ?」
その後、肩をがっくりと落として、ブラームスの家から出てくる若い作曲家の姿が目に浮かぶようです。
古代エジプトで、パピルスという植物の幹を薄く削ぎ、つくられたのが紙の始まりということは、中学校の歴史で学びます。このパピルス(papyrus)が英語の「paper/ペーパー」の語源ですが、本当のペーパー、つまり紙ができたのは紀元前150年の中国でした。その後、改良が加えられましたが、やはり紙はとても高価なもので、しばらく一般民衆には縁がなかったようです。
西暦751年、イスラム帝国により唐の紙職人が捕虜として捕らえられたのをきっかけに、紙はヨーロッパ社会にも広がっていきました。1439年にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を発明し、これまで手書きで貴重だった書物が、簡単に世の中に大量に出版されていくようになります。驚くことに、1473年には楽譜まで印刷されています。しかし、その結果、ヨーロッパは慢性化した紙の原料不足に陥ったのです。
活字で楽譜を印刷というのはあまり想像もつかないでしょうが、つい最近まで、世界の大手の楽譜出版社でも、活字でできた四分音符、八分音符、休符、音楽記号を、熟練した専門の職人が一つひとつ埋め込んでいく、そんな気の遠くなるような作業を行っていたのです。しかしながら、職人も人間ですので、活字の入れ間違えは生じます。現在では、間違いの起きにくいコンピューターでの印刷に変わっていますが、これをきっかけに各出版社が、間違いを訂正した「改訂版」や、作曲家の手書きのオリジナル楽譜を今一度研究し直した「原典版」を出版し合う、競争のようなことが起こっています。オーケストラの楽譜というのは、一度購入すれば、とても大切に何度も何度も使用するため、どんどん売れるものではありません。そのため、改訂版や原典版を出すことは、各出版社にとって大きなビジネスチャンスなのです。