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中村芳平「よくわかる外食戦争」

ワタミ、経営危機を招いた人材レベル低下 新店舗が観光スポット化!必ず復活できる

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
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ワタミ、経営危機を招いた人材レベル低下 新店舗が観光スポット化!必ず復活できるの画像1ワタミ本社ビル(「Wikipedia」より/Rsa)

 ワタミが訪日外国人客を意識した和食居酒屋「炉ばたや銀政 銀座数寄屋橋総本店」(130席)を開店したのは14年3月のことだった。「温故知新(日本の魅力再発見)」「エンターテイメント・シズル感の演出」「家庭では味わえない価値の提供」をコンセプトにした大型の炉端焼き店である。大きなオープンカウンターを中心にして、テーブル席、宴会席を配している。鮮魚、刺身、焼魚を目の前で調理して、皿に盛った料理を大きなしゃもじに載せて客に直接渡す。飲料は日本酒を前面に打ち出し、英語、中国語、韓国語のメニューを用意した。客単価はワタミの中で最も高い4000円以上。

 筆者は14年6月にワタミ前社長の桑原豊氏にインタビューした。

「銀政は非常に好調です。訪日外国人客も予想通り来店しています。銀政は坐・和民を業態転換して、14年9月に六本木店、同年11月には新宿野村ビル店を開店します。年内にもう1~2店舗開店したいと思っています」

 ワタミが遅ればせながら取り組んだ、訪日外国人客を狙った銀政は好調に推移していた。

 ところが、筆者が桑原氏にインタビューした後、ワタミは主力の和民、坐・和民、わたみん家の既存店の売上高が予想以上に悪化し、15年3月期で128億円の巨額な赤字を出した。不振店舗の閉鎖は102店舖に拡大、ワタミは新業態開発に投資している余裕がないほどに追い込まれた。

 桑原氏は「ワタミはブラックじゃない」とブラック企業批判を全否定するなど、創業者の渡邉美樹氏に代わって憎まれ役を務めたが、2期連続約180億円の大幅な赤字の責任をとり、15年3月1日付で代表権を持たない取締役に退いた。これによって新業態開発は計画がいったん先送りされた。

 桑原氏の後任には常務取締役の清水邦晃氏(44)が就任した。清水氏は創業者の渡邉氏と同じ明治大学に在学。明大在学中からワタミでアルバイトとして働き、明大を中退してワタミに入社。完全な実力主義の企業風土の中で成果を上げ03年8月、最年少で執行役員兼ゴハン事業本部長に抜擢された。05年9月、ワタミが介護のアール(アールの介護)を買収した時取締役に就任、06年4月同社社長に就任、ワタミの介護事業急成長の立役者となった。14年10月から常務取締役を務めていた。

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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