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中村芳平「よくわかる外食戦争」

ワタミ、経営危機を招いた人材レベル低下 新店舗が観光スポット化!必ず復活できる

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
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 こうしてワタミは全国展開のスピードを上げ、650~700店舗近くまで出店した。店長のレベルが低下したり、サービスの質が下がったりしても、誰にでもオペレーションできるシステムが構築されていたので問題は先送りされた。

 ワタミが全国展開してゆく中で、センターは全国12カ所で稼働するようになったが、それはもろ刃の剣でもあった。店舗が増えている時は強い味方になったが、ワタミが15年度から16年度にかけて190店舗近く閉店し、国内500店舗体制以下に縮小するのに伴い、稼働率が下がり、赤字を垂れ流すことになった。

 とはいえ、ワタミは中長期的に多様化、専門店化した店を増やす方針である。またセンターは宅食事業のベースともなるので、簡単に閉鎖するわけにはいかないだろう。

 いずれにせよ、センターを増やしていった00年代前半以降、ワタミは、外食事業をベースに農業、宅食、介護、メガソーラーなどへ事業を拡大・発展させた。この時期がワタミの頂点であったといえる。
(文=中村芳平/外食ジャーナリスト)

※後編へ続く

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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