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中村芳平「よくわかる外食戦争」

ワタミ、危機を招いた鳥貴族らとの低価格戦争敗北と、「黒」へ転換による客離れ

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
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ワタミ、危機を招いた鳥貴族らとの低価格戦争敗北と、「黒」へ転換による客離れの画像1ワタミの店舗

 ワタミは2002年頃から、集中仕込みセンター「ワタミ手づくり厨房」(略称、センター)を次々と建設し、調理の合理化が進んだ。その後、外食事業をベースに農業、宅食、介護、メガソーラーなどへ事業を拡大・発展させたが、この時期がワタミの頂点であったといえる。

 ワタミを襲ったのが08年9月に発生したリーマン・ショックであった。これを引き金にデフレは一層進み、居酒屋市場は接待需要などが激減した。これを機に主力の「和民」「坐・和民」「わたみん家」など、客単価3000円クラス以上の店舗で“客離れ”が起こった。

 そこを襲ったのが09年に中堅居酒屋チェーンの三光マーケティングフーズ(東京都豊島区)が仕掛けた「全品270円均一 金の蔵Jr.」の低価格・均一戦争であった。金の蔵Jrは大ヒット、三光は猛烈な勢いで既存店の看板を軒並み金の蔵Jrに衣替えする作戦を実施した。

 このため09年後半から10年にかけて首都圏の居酒屋は金の蔵Jrに対抗するため、軒並み全品300円以下の均一料金を掲げ、安値を競った。三光はというと最安値均一料金で大ブレークしたが、安値を実現するために取引先からの仕入れに無理があり、11年には「全品270円均一」の看板から「全品」を削り、高いメニューを導入した。これを機に金の蔵Jrの快進撃にも急ブレーキがかかり、低価格・均一戦争は11年後半にかけて一段落した。

 三光が「全品270円均一」にこだわったのは、当時、低価格・高品質を看板にして、破竹の勢いで店舗数を増やしていた「全品280円均一 じゃんぼ焼鳥・鳥貴族」(大阪市、東証2部)の存在があったからだ。筆者は三光や鳥貴族などを取材、低価格・均一戦争の衝撃、広がりを「夕刊フジ」などに連載した。

低価格戦争での敗北

 低価格・均一料金戦争に顧客を奪われ、業を煮やしたワタミが「低価格戦争に決着をつける」という触れ込みで10年8月、桑原豊前社長の主導で最安値の「250円メニュー」を前面に打ち出した。セミセルフサービスの「仰天酒場 和っしょい2(2の表記は2乗)五反田東口店」が第1号店だったが、結果は失敗だった。プリペイドカードを使った課金など、運営システムに無理があったからだ。それと最大の誤算は鳥貴族の「低価格・高品質」戦略の強さを軽く見たことだ。

 筆者は鳥貴族社長の大倉忠司氏には低価格・均一戦争が勃発する以前からたびたびインタビューし、JR神田駅南口の鳥貴族に何度も訪れた。国産焼鳥専門店の鳥貴族の商品力、サービス力は突出していた。満腹するまで食べても2000~2800円前後で収まってしまう客単価の安さには驚嘆させられた。鳥貴族は家賃コストの安い1.5~2流立地で営業、食材の原価率が32%前後。開店と同時に満席となる繁盛店だ。

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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