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中村芳平「よくわかる外食戦争」

ワタミ、危機を招いた鳥貴族らとの低価格戦争敗北と、「黒」へ転換による客離れ

文=中村芳平/外食ジャーナリスト
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 ワタミについてはブラック企業批判以来、必要以上にたたかれてきた。あたかもワタミという会社の理念、存続意義さえも否定されかねないようなバッシングである。きちんとした取材もせずに、“たたき得”ともいえる記事が氾濫しているのも、ひとつの現実だ。

 ワタミにとって今最も痛いのが人材の流出だ。2000年の海外事業創成期から挑戦してきたトップや、台湾事業を成功させてきたトップも辞めた。そんななかで、創業者で参議院議員の渡邉氏が構想する「ワタミ大復活のシナリオ」がきちんと実現するのかどうか。そのためには渡邉―清水・桑原の「3本の矢体制」が100%以上機能することが、最低条件であると思われる。

 とはいえ、訪日外国人客専門の銀政の開店で、今期ワタミが10万人の訪日客を獲得するようであれば、負の連鎖は止まり、流れは確実に変わる。ワタミが大復活のきっかけをつかむかどうか、銀政がワタミ大復活のカギを握っているといっても過言ではないのである。
(文=中村芳平/外食ジャーナリスト)

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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