中国ジェット機開発、米国社設計利用でも13年かけ米国認証取れず MRJの敵にならず
このためか、胴体の断面はMD-82とほぼ同等であるほか、機体ノーズの形状、リアジェット方式のエンジン取付け、尾翼形状等、機体のデザインもよく似ている。MD-82製作時の治工具がそのまま使用されているともいわれる。このため、「寸足らずのMD-82」と揶揄する向きもある。
初飛行後も遅延に次ぐ遅延の発生
北京五輪には間に合わなかったものの、基本バージョンであるARJ21-700(78~90人乗り)の初飛行は08年11月28日に実施された。その後、2~4号機も試験飛行に参加し、計4機で試験飛行は急ピッチで進み、初号機の航空会社への引渡しは10年末、遅くとも11年とみられていた。
ところが、異変は試験飛行でないところで起こった。地上では静荷重試験といって、飛行のたびに機体に加わる荷重による金属疲労強度が試験されるのであるが、この試験の過程で、翼に重大な亀裂が発見されたのである。
このため、CAAC(中国民航総局)は同機の運用限界範囲に大幅な制限を設け、試験飛行の内容も制約され、開発は大きく遅延することになってしまった。さらに、追い討ちをかけるように、電気配線や電子機器関連で大きな不具合も発生し、遅れが遅れを生んだ。型式証明自体は初飛行から6年を過ぎた14年12月30日に取得されたが、その後も確認飛行が継続し、成都航空への初号機の引渡しは7年を過ぎてしまった。
そもそも一般的に初飛行から引渡しまでは通常は2年程度であり、遅延でCEO(最高経営責任者)の首が飛んだエアバスA380の場合でも3年であった。7年というのはいかにも異例であり、同機が江沢民時代に構想されたことから、その後の胡錦濤・習近平体制と江沢民・上海閥勢力との確執が影響したのではという、うがちすぎた憶測さえ生まれたのである。
ARJ21はMRJの強力なライバルとなり得るのか?
第一に、このARJ21という機体は、中国内陸部への路線で辺鄙な空港の短い滑走路、また標高の高い滑走路、厳しい気象条件に対応できることが重視され、MRJのような最新の技術を用いて低燃費性能、高環境性能を実現しようとする航空機とは根本的に設計思想が異なっている。
第二に、航空機市場の主戦場である欧米で販路を開拓するためには、FAA(米国連邦航空局)かEASA(欧州航空安全機関)の型式承認が不可欠となる。実は、中国はこの機体で世界市場に打って出ようと、型式承認プロセスでFAAと緊密な連携を取ってきた。FAAも“影の型式承認審査”を行いCAAC(中国民航総局)の型式承認プロセスの能力を評価しつつCAACの型式承認を追認するか検討を行った。