中国ジェット機開発、米国社設計利用でも13年かけ米国認証取れず MRJの敵にならず
三菱航空機のリージョナルジェット機、MRJがようやく初飛行に成功して、国際的にも「ゼロ戦の三菱が航空機製造で復活した」と報道されるなど、注目を浴びている。一方で、リージョナルジェットの世界では今や老舗となったブラジルのエンブラエルが、着々と販売を拡大する中、ロシアと中国が開発・製造でしのぎを削っており、競争も激しい。特に、中国の機体は国内コストの安さで販売価格がMRJより3割以上安いことから、インドネシアで中国に敗北した高速鉄道の二の舞になるのではないかという心配もなされている。
しかし、この中国のリージョナルジェット機、ARJ21は、MRJより7年も前に初飛行したのにさっぱり航空会社で就航してこなかった。ようやく、11月29日に初号機が成都航空に引き渡され来年2月以降に就航する運びとなった。
日本のメディアでは「MRJのライバル登場」と報道されているARJ21の開発と初飛行後の苦難の軌跡について、またMRJの強力なライバルとなり得るのかについて、今回は考察してみよう。
内陸地域へのアクセス確保が主命題
中国民航総局(CAAC)は2000年末、経済の活性化と西部大開発に代表される地域間格差是正を目標に、リージョナルジェット機の活用を促進する「リージョナルジェット奨励政策」を決定した。
西部大開発とは、経済発展から取り残された内陸西部地区を経済成長させるために、江沢民体制の後期である2000年の全人代で決定された国家政策である。この政策に沿って、02年に中国国産のリージョナルジェット機としてARJ21の開発がスタートした。ちなみにARJ21の正式名称は「Advanced RJ」であり、「進化したリージョナルジェット」を意味する。
したがって、基本コンセプトは中国の西部地域での使用を前提に、「高温、高地といった厳しい環境下でも、効率的に使用できるリージョナルジェット」というものだった。辺鄙な空港の短い滑走路、また標高の高い滑走路にも対応できるよう高い離陸、上昇性能を求められた。当初は08年開催の北京五輪までの就航を目標とされたが、結局その次のロンドン五輪にも間に合わず、来年のリオ五輪にやっと間に合うかというほどに開発が遅れている。
旧ダグラス製MD-82によく似たデザイン
ARJの開発は、上海にベースを持つCOMAC(中国商用飛機有限責任公司)によって行われている。このCOMACは、国有航空機メーカー数社と研究機関とのコンソーシアムであり、その中心企業が上海航空機材会社である。同社は、かつて日本でもおなじみの旧ダグラス製MD-82をライセンス生産し、胴体製造技術や航空機組立て技術を培っている。