GoogleやAppleとLSDの深い関係 PCの誕生はヒッピーのおかげ?
「第二次世界大戦までアメリカは世界を意識することがほぼなかったですが、あの戦争で実質的にグローバリズムに巻き込まれました。また、戦後は冷戦で宇宙開発が活発化し、ソ連は人工衛星を打ち上げ、アメリカは月への飛行計画を発表したりした。そこで初めて人々は地球が丸いことを具体的に想像でき、地球をひとつの実体として客観視できるようになりました。まあ、LSDをやると宇宙の果てまで行ったように感じるのかもしれませんが(笑)、そういう意識をあのドラッグが持ち上げた側面はあり、従来の文化とは違う枠組みでアメリカの若者がグローバリズムを感じられるようになったことが、全地球のカタログ化という発想の背景にあるでしょう」
創刊号はフラーから始まり易経で終わったように、WECはジャンルレスな情報が詰め込まれたカタログだった。しかも併置が重視され、その異種交配的なレイアウトは現在のハイパーリンクにも通じるといえる。加えて、道具に本、ノウハウと紹介される“ツール”のカタチはさまざまで、当初それらに対するレヴューは専門家が執筆していたが、次第に読者も投稿。これは、ブランドがWECを動態的なシステムと考え、フィードバックを重んじ、情報をプロセスと見なしたからだ。それゆえに、WECはヒッピーのみならずアーティスト、科学者、技術者、ジャーナリスト……ベイエリアの異なるコミュニティを結びつけた。そして全号合わせて150万部以上売れ、72年に全米図書賞を受賞。後年には、ジョブズがWECを「紙のグーグル」と言い表した。
「広大なアメリカには19世紀から通販カタログがあり、もともとコミューンに足りない食糧などをトラックで売って回っていたブランドは、自身のビジネスとしてヒッピー向けの通販カタログをつくろうとしたように思います。ただ、大量生産された日用品ではなく、ドロップアウトした若者が資本主義社会とは異なる生活を自分たちでするためのツールがWECには載せられた。そそのかされたようにあの時代の運動に参加した若者たちにとって、WECはいわばカウンター・カルチャーのホームページのように機能したのです」(服部氏)
そんなWECにコンピュータの記事は多くなかったが、ブランド自身は創刊と同年に第1回で述べたダグラス・エンゲルバートのデモンストレーションをプロデュース。デモの内容はほぼ理解できなかったらしいが、トリップ・フェスティバルの経験が活かされたという。また、サンフランシスコで創刊されたローリング・ストーン誌に72年に彼が寄稿した「スペースウォー」という記事も重要である。
スタンフォード大のAI研究所やゼロックス社のパロアルト研究所の研究者たちがインターネットの原型といえるARPANET(第1回参照)を介してスペースウォーというゲームで遊ぶ様子を伝えたそのテキストでは、個々人の創造性を引き出し中央制御型の権力機構に対抗するツールとして、あるいはサイケデリックの次に来るものとしてコンピュータが描かれたのだ。ちなみに、ハッカーという言葉が初めて公になったのも同記事で、楽しみながらコンピュータ・システムの改変や発明を行う人間といった意味で用いられた。