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中村芳平「よくわかる外食戦争」

キリン、似たようなビールばかり売る業界と決別…多彩な驚きのビール販売に大転換

文=中村芳平/外食ジャーナリスト

「たとえば九州にはアサヒの博多工場、キリンの福岡工場、サントリーの熊本工場、サッポロの大分県九州日田工場があります。ビール類市場がこれからも縮小していくのが確実ななかで、九州だけでみても4工場もあるのは多すぎると思います。2工場もあれば生産量は十分間に合います。ビール類事業は装置産業です。生産量が減って稼働率が損益分岐点を割れば、工場閉鎖は避けられないでしょう。今後、工場閉鎖問題とビール4社の再編問題が再びクローズアップされるのではないでしょうか」

 キリンはビール類市場が04年から11年間減少続けるなかで、それと歩調を合わせるように長期低落を続けてきた。しかしながら、磯崎氏がキリンのリーダーシップを執り事業モデルの転換に踏み切ったことで、前向きな変化が生まれてきたような気がする。

 磯崎氏は「ビール市場が11年連続で減少してきた以上、ビールの復権には10年以上の長期戦で取り組むべきだ」と腹をくくったのではないだろうか。磯崎氏が推進したスプリングブルワリー(SVB)東京が、今年4月、開業1周年で年間約26万人を集客した意味は決して小さくない。なぜなら「年間26万人の集客を10年続ければ260万人集客」することになる。つまり「10年経ったら新しいビアカルチャーが育ち、10年経ったらキリンさん」という時代がやってくるということだ。

 キリンは「47都道府県の一番搾り」についても長期戦略で取り組む構えだ。それが市場に受け入れられるのか、受け入れられないのか。「47都道府県一番搾り」が市場に受け入れられるようであれば、2~3年後にキリンの大逆襲に発展するかもしれない。

 キリンがビール類市場に地殻変動を起こせるのか。今年は正念場だといえる。
(文=中村芳平/外食ジャーナリスト)

中村芳平/外食ジャーナリスト

中村芳平/外食ジャーナリスト

●略歴:櫻田厚(さくらだ・あつし)

1951年、東京都大田区生まれ。高校2年生の時に父が急逝し大学進学を断念、アルバイトして家計を助ける。都立羽田高校卒業、広告代理店勤務。72年に14歳年上の叔父(モスフードサービス創業者・櫻田慧)に誘われ「モスバーガー」の創業に参画。フランチャィズ(FC)オーナーなどを経て、77年に同社入社。直営店勤務を経て教育・店舗開発、営業などを経験。90年、初代海外事業部長に就任、台湾の合弁事業の創業副社長として足掛け5年半でモスバーガーを13店舗展開。1985年の株式上場と244店舗展開(16年9月末)、そして同社の海外展開の基礎をつくった。慧氏は97年にくも膜下出血で急逝、享年60。櫻田氏は98年社長に就任、14年会長兼社長に就任し、今年6月、社長を常務取締役執行役員の中村栄輔氏(58)に譲った。社長交代は18年ぶりのことだ。櫻田氏は中村氏に国内事業、新規事業を任せ、海外事業に全力を注ぐ構えだ。「モスバーガー」を世界のブランドにするという、夢の実現に向かって挑戦しようとしている。

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