絶望から奇跡の完全復活…ソニー平井社長が激白、4年の覚悟の「構造改革」全真相
平井 私の「決断」によってインパクトを受ける社員のみなさんや家族のことを考えると、心が痛んだし、悩みました。ただ、私自身より、それをお願いするマネジメントと実行する社員が大変だったと思います。
片山 当時、平井さんに対してマスコミは批判的でした。ご苦労されたはずですが、聞くところによると平井さんは「粘り強い」性格だそうですね。
平井 良い言い方をすると「粘り強い」んですけど、悪い言い方をすると「頑固」です。ただ、決めるまでは周囲から徹底的に話を聞く。聞いて一回決めたら、誰がなんといおうともやり遂げます。ただし、「これは間違ったな」と思ったらば、すぐ変えますけれどもね。
たとえば、テレビは「何年間赤字を出すつもりですか」と言われましたが、「いい商品を、ちゃんとしたコストで出せば黒字化できる」と思っていたので続けました。黒字化したら、この頃は誰もテレビの話を聞いてくれなくなっちゃいましたけどね(笑)。
片山 そうそう、私もマスコミの端くれですが、マスコミはそういうものですよ。
平井 まあ、それでいいんですよ。
エレキ復活
片山 15年度、エレクトロニクス事業が5期ぶりに黒字化しました。何兆円という規模のエレキのビジネスは、いったん赤字体質になると立て直すのは至難の業です。私は、立て直しはほとんど絶望的だと思っていました。その意味で、黒字化は奇跡に近いと思います。何より、エレキ復活はソニー復活の決定打です。いろんな手を打たれたと思いますが、もっとも有効だったのはなんですか。
平井 いちばんは、現場の社員とマネジメントが本当にがんばってくれたことです。それがなかったら実行できなかった。その前提のうえで、まず求心力を持つことに専念しました。
片山 平井さんは就任当時、「ソフトの人間」と言われましたね。ハード、つまり本業のエレキがわかるのかと。
平井 実際、私はソニー・ミュージックエンタテインメントで10年、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)でプレイステーションを15年以上やっていましたからね。エンジニアじゃないことは確かですが、ソニーの商品は好きで、子どもの頃からずっと使ってきましたし、語れば誰とも同等に話せるくらいの知識を持っていました。
問題は、それをみんなが知らないことだった。要するに「この人で大丈夫なんだろうか?」と、社内外から思われていた。いまでも思われているかもしれないですが(笑)。